霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

ハレルヤ(Hallelujah) - Lucy Thomas

今日のYoutube音楽は,Lucy Thomasのハレルヤ.まずは,その動画を貼っておこう.

 

 

Lucy Thomasを知ったのは,数年前.Youtubeでたまたま彼女の動画を見て,素晴らしい歌声と透き通るような美しさでファンになった.とはいってもYoutubeで聞くばかりで,アルバムは買っていないのだが..

年齢はとても若い.正確にはわからないが,2019年に14歳でファーストアルバム(Premiere)を出したというから今は16歳か17歳ではないか.歌のうまさと声量,それに堂々たる歌いっぷりでその若さとはとても信じられない.Youtubeには他の多くの曲 − ほとんどが名曲のカバー − がアップしてありどれも素晴らしい.

 

今日紹介したのはその中でも私が好きなハレルヤ.2016年に亡くなったLeonard Cohenがオリジナル曲として1984年に発表したもので,数え切れないほど多くの歌手にカバーされた.以下には,そのLeonard Cohenの動画を2つと,Jeff Buckley, John Cale, それに Bob Dylanの動画を貼っておく.

 

歌詞は宗教的な内容を含む愛の歌と軽く言ってしまうのがためらわれるほど深く,私には説明しきれないので,ネット上で見つけた解説もつけておく.

 

Hallelujah:歌詞の解説

  http://20100213.blogspot.com/2010/02/hallelujah-jeff-buckley.html

 

 

Leonard Cohen 1

 

Leonard Cohen 2

 

Jeff Buckley

 

John Cale

 

Bob Dylan

 

 

日本国劣化と若いエリート

6月25日,金曜日.定年後の生活は毎日が日曜日だ.しかし毎朝ゆっくり起きて朝食後のぼんやり過ごす時間を大切にしたいとか,健康のため毎日散歩したり自転車に乗ろう,新しい遊びを始めよう,家人に課せられた家事をまともにこなす学習・準備をしようなどをしていると,あっという間に時間が過ぎてしまう.その上,夕方になればビールでも飲もうということになるから,なかなかブログを書くネタを調べる時間も書く時間もない.今日は天気もあまりよくなく,家事を言いつける家人もいないので,久しぶりにブログを書くことになった.

 

asahi

今朝,新聞を広げて見ると,まず『閣僚「五輪中止を」拒む首相』との一面トップの見出しが目に入る.その左には『教職敬遠され採用倍率最低』(35面に関連記事として『先生ほしい 下げるハードル』)があり,一面の右下には『コロナワクチン日本市場3000億円』,そして左下には『香港消された言論』と配置されている.一枚めくった右側の二面には一面トップの続きが詳細に書かれ,左側の三面には『赤木ファイルに「資料 議員に持っていくつもりない」財務省,野党要求拒否認める』の記事がある.

 

一面から三面まで,そして35面の関連記事をひととおりざっと読むが本当に気が滅入る話ばかりだ.特に,五輪中止を拒む首相の記事,応募者を増やすために教員採用の筆記試験を免除する記事,赤木ファイルを隠し続けた不誠実な財務省の記事は,日本という国の著しい劣化,別の言い方をすると政治と行政の後進国化,を改めて認識させ,言うべき言葉を失う.しばらくして頭に浮かんできたフレーズは,『いったいどのような教育を受け,どのような経歴を持った人がこのように不誠実でデタラメな政治と行政を行うことができるのか』,そして『どのような人々がこのような政治・行政を許容することができるのか?』である.途方に暮れ,もう新聞を読んだりニュースを見たり考えることはやめて,個人的な楽しみの生活に閉じこもってしまおうかとさえ思ってしまう.

 

Kurodai

例えば...

先週末,満潮時の河口にあれほどたくさんいたクロダイは今週に入ってぱったり消えた.あのクロダイたちはいったいどこに消えてしまったのだろうか.橋の下でパーティをしていた彼らは,今シーズンの祭りを終えて海に帰ってしまったのだろうか.それとも,大潮が終わればまた河口に戻ってくるのだろうか(知っている人がいたら教えて下さい).今シーズン,初めてのクロダイ釣りは諦めて(つまりクロダイのアクアパッツアは諦めて),港内のサビキ釣りで豆アジかヒコイワシ(シコイワシ)を狙おうか(豆アジかヒコイワシの酢漬けか天ぷらにしようか)などと考えている.

 

五輪中止を拒む首相の記事に戻ろう.

https://www.asahi.com/articles/DA3S14950623.html

 

olympic

記事によれば,5月半ばから6月21日の五輪の5者協議まで,何人もの閣僚らが菅義偉首相に五輪中止を求める直言をし,中止の決断を迫ったという.しかし,菅義偉は「ワクチン接種を加速させる」,「感染者数は6月に減るはずだ」との妄言を繰り返した.五輪にワクチンが間に合わないこと,7月には第5波が来ることを専門家たちが指摘していた最中にだ.5者協議直前の20日には「分かってるよ.宣言になったらやめればいいんだろ」と捨て台詞とも思えるような発言をしたという.

 

こんなことも行ったと記事はいう.「五輪はやめるのが一番簡単なんだ.でもここまできた.全部止めるわけにはいかない.」 本人は嘘をいったつもりはないかもしれないがそれは事実ではない.ズルズル引きずってきた五輪であるからこそ,6月に入ってからやめる決断をするのは大変だったはずだ.周囲の反対を押し切ってずっと【実施】と言い張ってきたのだ.その本人がやめると言い出せば周囲の政治家も官僚も一気に士気が下がるだろう.親玉の菅義偉は,やる気を失った関係者たちと国民に対して,決断が遅れた理由と,遅れた決断をあえてする理由を明確に述べなければならない.さらに,それによる大混乱を最小限にするための手順を迅速に合理的に考え,指示しなければならない.菅義偉にもその周辺の大臣や補佐官にもそのような能力は皆無だろう.忖度官僚たちにもあるはずがない.菅義偉にとっては,思考を停止し,希望的観測に基づいて,五輪を強行することが一番簡単だったのだ.というより,それ以外の選択肢を実行するために必要な能力がなかった,が本当のところなのかもしれない.

 

suga

会社など組織の中で長い間働いた人間であればわかると思うが,このように振る舞うオヤジはどこにでもいる.何の根拠も示さず,現実を見ず,希望的観測に基づいて,自分の(考えではなく)思いだけを述べる.それではうまくいかない,トラブルが起きると心配する部下や若い人たちがどんなに根拠を示しつつ説明しても聞く耳を持たない.自分に従うものに対しては面倒見が良いが,批判したり反対する同僚や部下には厳しく接する.その一方で自分より上位の者には無条件にへつらう.

どうしようもなくだめなオヤジだが,うまくいってない会社や組織にはそこそこの地位,例えば部長補佐などにこんなオヤジがいたりする.そんな三流組織の部長補佐クラスが日本の首相になってしまったのだ.我々国民が首相にしてしまったのだ.

 

長期的に落ち目で復活反転する見込みのほとんどない二流国・日本だが,このようなダメ親父を首相にしてしまった.しかもダメ首相の妄言,暴走を押し止めることのできない政治家や官僚しか周りにはいない.これでは三流国,四流国に落ちるのも遠くないだろう.

 

Kurodai

日本の若いエリートたちもそれは切実に感じているようだ.東京大学の卒業生で官僚を目指すものが激減しているとの報道があった.一流大学の卒業生達が就職先の第一希望とするのは都市銀行でもなく一部上場の大メーカでもない.彼らが目指すのは外資コンサルティングとグローバルIT企業だ.つまり,頭の良いものほど日本を見捨て海外に出ていこうとする時代になった.それは,インド,スリランカバングラデシュの若いエリート達と同じだ.

 

もちろんそのことを批判するつもりはない.彼らには彼らの人生があるし,エリートといえども彼らに今の日本を変えるほどのパワーがあるとは思えないからだ.ただ,彼らの優れた能力を,社会や公共のためにではなく,彼らが金持ちになるという個人的欲望のためだけに使うことに,何のためらいも見せないその姿に,とても深い悲しみを覚える.彼らエリートが勝ち取った能力や地位は,もちろん彼らの努力と両親から与えられた幸運もあるのだが,税金という公共のお金をかけた教育があればこそなのだから.

 

 

横浜 新型コロナワクチン予約狂騒曲

vaccine

私は現在65歳.新参の高齢者である.4月23日夜,菅義偉首相が7月末までに新型コロナワクチンをすべての高齢者に接種すると宣言したが,その3600万人の対象者のうちの一人だ.菅義偉の思いつき発言が出るまで,私が住む横浜市では8月中に接種を終える計画であったらしく,この7月末発言のあとワクチン接種予約は混乱を極めた.

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210523-OYT1T50185/

 

yokohama

当初,横浜市は 5/3(月)から80歳以上,5/10(月)から70歳以上,5/17(月)から65歳以上の予約開始を予定し,それに合わせて接種券の発送日も公表されていた.ところが5月3日の予約開始日,午前9時の開始時間からネットアクセスと電話が殺到し,わずか45分で予約受付を中止する羽目に陥ったのだ.しかもこの予約受付の中止は,予約で必死の者たちに伝えることも難しかったらしい.私の母親の接種予約をしようと頑張っていた姉と姪はその日,夕方までパソコンとスマホにかじりついていたのだという.

https://www.asahi.com/articles/ASP5371JNP53ULOB003.html

 

no access

予約が再開されたのは2日後の5月5日(水).姉からワクチン接種予約への助っ人を求められていたので,この日は私と妻も戦力として参戦した.姉と姪はそれぞれの自宅でPCを立ち上げ,私の家ではPC3台をテーブルに並べ,さらにスマホに自動リダイヤルアプリをインストールし午前9時を待つ.午後まで続くことも覚悟して予定を一切入れなかったのだが,幸いにも1時間と10分ほどで3台のうちの1台が予約サイトにつながり,無事に90過ぎの母の予約が完了した.以下のサイトによると,この日は7万5千人分の予約を受付け,夕方でも予約が可能であったように書いてあるが,私が予約した会場はその時点でほとんどが埋まっていて残りはわずかしかなかった.

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210505/k10013013151000.html

 

翌週10日.この日は70歳以上の予約枠で義兄の接種予約の開始日.母のときと同様に姉一家と共同で参戦するつもりだったが,直前になって横浜市は1週間の延期を発表.おそらく予約できていない80歳以上を優先するためだろうが,直前に変更されても気づかない.姉が頻繁に横浜市のサイトをチェックしていたから分かったものの,姉から連絡されるまでわからなかった.同時に65歳以上の接種券送付日もいつの間にか14日から17日に変更になっていた.それはつまり,65歳の予約も1週間延期ということなんだね,きっと.市からは何の説明もないけれど. 17日当日の義兄の予約は,古いPCをもう1台加えて4台のPCをテーブルに並べてのぞみ,うち1台が20分ほどでつながったのだった.

https://mainichi.jp/articles/20210506/k00/00m/040/126000c

https://www.kanaloco.jp/news/government/article-494687.html

 

Hayashi

横浜市の迷走はその後も続く.すでに65歳以上の枠の予約開始は17日から24日に変更されていたが,このままでは菅義偉が宣言した7月末に間に合わないから「接種日」を前倒しにすると直前になって発表.そして,24日に予約する接種の日を前倒しするために,24日の予約枠を半分以下に削減するというのだ.なんのこっちゃ.

https://www.tokyo-np.co.jp/article/105840

 

いよいよやってきた24日.まだ予約できていない多くの80歳以上,70歳以上の古参高齢者に加え,新たに参戦する65歳以上の新参高齢者たちが,半分以下に削減されたワクチン接種枠を争う.これは厳しい戦いになる.姉と私はどちらもこの65以上の枠に入るので,この日は協力ではなくそれぞれがトライすることになった.午前8時30分からPCを立ち上げて待機し,9時15分に予約サイトへのアクセスに成功したが,接種枠が少なすぎてすでに予約はいっぱい.あえなく敗退したのだった.

 

姉は9時10分ごろにアクセスに成功し,かろうじて予約することができたのだが問題点が1つあった.母と義兄の予約ときは1回目の接種予約をすると3週間後の同時刻に2回目の接種が自動予約されたのだが,姉の時は2度目の自動予約ができてなかったという.接種枠の削減だけでなく,2度めの自動予約についても変更になっていたのだ.何の説明もなく.後日電話で問い合わせると,3週間後に自分で2回めを予約してくださいとのことだったらしいが,そんな簡単に希望日の予約なんてできないのに..

 

その後,横浜市は「集団接種」と「個別接種」に加えて,独自の「大規模接種」をすることを発表した.結局,私は6月3日に大規模接種を予約し,姉は予約できた集団接種をキャンセルして「かかりつけ医」に電話して個別接種の予約をしたのだった.

 

こうして書いてみると,自分が大騒ぎをしていてちょっとバカみたいな気もしてくる.

 

テレビでは,タレント化した医学者たちが,「コロナに感染するリスクよりワクチン接種のリスクのほうがはるかに小さい」と壊れたテープレコーダのように,根拠も示さず繰り返している.短期的なリスクについてはそうかもしれない.だが,昨年の夏頃,まだワクチン実用化はまだまだ先と言われていた頃,TVでは多くの医学者がSARSやMERSなどコロナ系ウィルスのワクチンが成功していない理由としてADE(Anti-body Dependent Enhancement:抗体依存増強)を挙げていた.その心配はなくなったのか.mRNAワクチンについてはmRNAからDNAへの逆転写の可能性とその未知の影響を指摘した論文が出ている.狂犬病HIV,HPV,ジカ熱,チクングニア熱などに関して,新型コロナの前にmRNAワクチンの臨床試験が開始されていたが,いまだに一つも実用化に至っていないのはなぜか.そこで問題になったことは新型コロナには適用されないのか.さらには,mRNAが作り出すスパイクタンパク質そのものが病原性を持つなどという話まである.

https://www.niid.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/2536-related-articles/related-articles-492/10182-492r06.html

https://clinic-yamauchi.com/news/757/

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021012800839&g=soc

https://indeep.jp/we-made-a-mistake-says-the-developer-of-the-mrna-corona-vaccine/

 

IVM

ワクチンに対する疑問に比べると,イベルメクチンへの疑問のほうがはるかに少ない.本当のところをいえば,イベルメクチン(ストロメクトール・ジェニリック)を買って飲んでいるので,ワクチンはしばらく様子をみようかな..という気持ちもあるのだ.

 

ハマスをテロ組織とよぶこと

5月20日,イスラエルハマスの紛争が停戦合意した.だが,過去の紛争を見ると両者の停戦合意はそう簡単には守られず,新聞でよく使われる紋切り型の言葉を使えば,予断が許さない.

 

Iiyama

ところで,日本のマスコミや保守系の政治家,評論家たちは,テロやテロ組織という言葉を,何の注釈もつけず,ためらいも見せずに口にすることが多い.我々自由主義社会の平和な日常と安定を脅かすあらゆる暴力は「テロ」であって,「テロ」といえば問答無用,一刀両断に切り捨ててよいと言わんばかりだ.最近の例で言えば,中山防衛副大臣が「私達の心はイスラエルと共にあります」と悪びれずもせずにツイートしてそのお気軽さで非難されたが,そのツイート内で「イスラエルにはテロリストから自国を守る権利があります」と述べた.また,自称イスラム思想研究者の飯山陽は中山防衛副大臣を擁護するブログの中で,「ハマスはテロ組織」だからイスラエルは国民と国土を自衛する権利があると主張する.

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210521/k10013043041000.html

https://note.com/iiyamaakari/n/nb694907826bc

 

Netanyahu

テロリストという言葉は,国の支配者たちが自分の統治に抵抗する者たちを指して使うことが多い.例を挙げれば,イスラエルのネタニヤフ首相がパレスチナ解放運動を行うハマスに対して,トルコのエルドアン大統領がクルド族の独立運動に対して,ロシアのプーチン大統領チェチェン独立運動に対して,中国の習近平チベット族,ウィグル族,香港の民主化独立運動に対して,ミャンマー軍部がカチン族やロヒンギャ等の少数民族に対して使う.これらの例では,暴力的弾圧と暴力的抵抗がセットになっていて,弾圧する側が抵抗者をテロリストと呼ぶ.ただし,個々の例にはそれぞれ個別の事情があるから,今日はパレスチナハマスについてテロリストと呼ぶことが適切なのかについて考えてみたい.

https://twitter.com/gloomydeaf/status/1392769349300088832

 

Hamas

ハマスイスラム主義を掲げるパレスチナの一組織で,イスラエルを国家としては認めず,パレスチナ国家樹立を目指す政党である.20世紀にはPLOパレスチナ解放機構)がパレスチナ自治政府を代表する勢力であったが,PLOアラファト議長イスラエルとの共存を目指すようになってから,強硬派のハマスが支持を伸ばした.パレスチナ地方議会選挙(2004年)や評議会選挙(2006年)で過半数を占めたことを見ると,一般のパレスチナ人から支持されたといってよいだろう.今ではハマスパレスチナガザ地区を実効支配しており,今回の紛争でイスラエル軍と戦っているのもハマスである.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/22996

 

Palestine

念のため背景を簡単に補足しておこう.パレスチナは第2次世界対戦直後まではパレスチナ人の土地であったが,米国と英国を中心にした国際社会がホロコーストで悲惨な目にあったユダヤ人のため,この地に新国家としてのイスラエルを作った.2000年前までパレスチナユダヤ人の土地だったからである.イスラエルが建国されたのは1948年5月15日であるが,この日は2000年間その地に住んでいたパレスチナ人が強制的にその地を追われた「ナクバの悲劇」の日でもある.

 

bomming

ハマスは日本を含む先進諸国から「テロ組織」とされているが,貧困層への教育や医療,福祉事業など,パレスチナ人のための社会活動を行って支持を広げた.その地道な活動がガザ地区での実効支配につながっているという.一方で,上述のようにイスラエル国家を認めず,武力でパレスチナの地を取り戻そうともしている.イスラエルに対して,ロケット攻撃,自爆テロ,要人暗殺などの暴力行為も行う.それが理由で,イスラエルだけでなく,米国,EU,日本がハマスを「テロ組織」と指定しているのだ.

 

De Gaulle

さて,ハマスを「テロ組織」として非難することは公正だろうか.かつて,第2次世界大戦時,ヒトラーのドイツに占領されたフランスでレジスタンス運動があった.暴力で不当に占領された土地を取り戻すために暴力で抵抗するという点で同じだ.ではそのレジスタンス運動をひきいた者や参加したもの − 例えば,後の18代フランス大統領ド・ゴール − はテロリストか.ミャンマーのカチン族はロヒンギャはどうか.中国に対するチベットの抵抗運動,南ベトナムでのベトコンの戦い,キューバでのチェ・ゲバラ.具体的な事情はそれぞれ違うが,彼らをテロリストと切って捨てることは妥当なのか.一般論として暴力が悪であるとしても,暴力により占領・支配するものに対する暴力的抵抗をテロといって非難することは正義か.仮定の話だが,中国が台湾に軍事侵攻し暴力的に支配したとして,もし台湾で暴力的な抵抗運動が起きたら彼らをテロリストと呼ぶことには同意できないだろう.

 

Intefadah

「テロ攻撃」という言葉は非対称の戦いにおける強者側が使う.圧倒的な強者だ.かつて「テロ」という言葉をひんぱんに使った者たちを思い出してみよう.ネタニヤフ,エルドアンプーチン習近平,ブッシュ.いかにも怪しげな公正の「コ」の字も感じられない面々だ.一方で彼らの暴力 − 彼らが命じた軍事行動・鎮圧行動で殺されたものの数を想像してみよう − は「圧政」という言葉に変換され,隠され,和らげられる.その共犯者はマスコミだ.大手マスコミは強者側の暴力を「圧政」という言葉で和らげて報道する一方,弱者側の抵抗を「暴力」あるいは強者と一緒に「テロ」と呼ぶ.

 

unsymmetry

イスラエルパレスチナの戦いも非対称だ.力が圧倒的に違う.パレスチナの青年が石を投げればイスラエル兵士は実弾を撃つ.ハマスがロケット砲を撃ってもその90%は迎撃される.そしてイスラエルは大規模な爆撃で報復する.もちろん死傷者数も完全に非対称.圧倒的にパレスチナ側のほうが多いのだ.

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/05/25-42.php

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65487

 

Intefadah2

イスラエル占領下におけるパレスチナ人の苦境は誰もが知っている.それは圧政などという生易しい話では済まない.ガザ地区などは「天井のない監獄」と呼ばれている.ガザの住民全員が監獄に入れられているというたとえだ.

https://jammin.co.jp/charity_list/180326-ccp/

https://www.tokyo-np.co.jp/article/58017

https://www.asahi.com/articles/ASP5P5S13P5NUHBI00J.html

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%A9%E4%BA%95%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E7%9B%A3%E7%8D%84/

 

私は,ネタニヤフ首相に率いられるイスラエルという国家 - いくつもの国連決議を無視している - は,北朝鮮に次ぐほどのデタラメな無法国家だと思う.

 

GYPSY SONG - 西岡恭蔵

今日は,西岡恭蔵のGypsy Song.

 

西岡恭蔵の歌をここで紹介するのはたぶん2度め.彼の歌はだいたいほぼなんでも好きなのだが,その中で一番好きな歌...というわけではない.好きな歌がたくさんありすぎて選びきれないのだ.ただ,今夜は,たまたまGypsy Songが頭に浮かんだ.でも,こんな夜中に西岡恭蔵を聞こうと思った時はこの歌が多いかな.

 

夜中に一人でお酒を飲みながらこの歌を聞き始めると,何度も聞きたくなって終わりがない.きりがないのだ.

 

そのうちに若い頃にあったいろいろなことを思い出して,哀しくなったりしてますますベッドに行く気にならなくなる. そして,もう一杯だけ..が,もう二杯になる.そして,さらに一杯.

 

西岡恭蔵,いい風貌しているよな.生きている間に会ってお酒でものみたかったな.

 

 

GYPSY SONG

 

 

 

 

トンビ - ちょっとパレスチナ

今日は朝からどんよりとした空が広がり小雨もときどきちらついていた.そういえば昨日も同じような曇天だったが昨日と違うのは強風.1ヶ月ほど前に越してきた横浜のこの部屋は,海に近いうえに10階という高さもあってか,荒天時には風が強いのだ.先月まで住んでいた新潟ほどではないが,両開きの重いアルミサッシをピタリと閉めておかないとピューピューという風切り音が部屋内に響く.隠居の身分になってからはそれもなんだかいい感じだなあとしばし聞き入ったりする.

 

午前中,義兄のコロナワクチン接種の予約をネットで無事に完了し,その他は何も用がない一日だったので,ネットで今大変な状況になっているパレスチナのニュースを眺めたりしていた.

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210517/k10013034741000.html

https://www.youtube.com/watch?v=Ap0RZd25fmI

 

fight

そんなとき,一羽のトンビが窓のすぐそば − ベランダの壁から1,2メートルかと思えるほどの近く − をかすめて飛んでいったのだ.驚いて立ち上がり外を見ると,強風のなかトンビがサーフィンするかのように風に乗っている.穏やかな晴れた日にゆっくりと大きな輪を描いて飛ぶのとはまったく違う.ときには高く,次には低く,右左自在に,戯れるように風に乗っているのだ.餌を探してゆっくり輪を描くとのは明らかに違い,強風のなかで遊んでいる.

 

気がつくと遠方にもう一羽,風に乗ってる鳥がいる.トンビほど優雅な舞ではない.あれはカラスだ.そういえば,賢いカラスは強風時に風にのって遊ぶことがあるという話をきいたことがある.ということは,トンビもカラス同様に賢いのだろうか.

 

Palestine

このトンビとカラス.実はほぼ毎日この部屋の窓から見ている.どうもこの二羽はマンション前の広い空域を縄張りとしているようで,よくバトルしているのだ.とは言ってもほとんどの場合はカラスがトンビを追い回していて,見ている様子ではトンビがイジメられているいう感じだ.でも今日は強風のなかでそれぞれがサーフィンを楽しんでいる.「二羽で仲良く」なんてことは間違いなく無理であろうが,にらみ合いながらでも無益な戦いはやめて,この同じ空で平和に共存してほしいと思った.パレスチナの子どもたちの写真を見ながら.

https://seichi-no-kodomo.org/

https://ccp-ngo.jp/palestine/

 

 

自分をほめてあげたい,への違和感

Arimori Yuko

「自分で自分を自分をほめてあげたい」 25年ほど前,アトランタ・オリンピックでメダルを取った女子マラソン選手が口にした言葉として有名だ.それ以来ときどき,良い成績をあげたスポーツ選手が同様の言葉を口にするのを見るようになった.

https://sports.smt.docomo.ne.jp/ol2020/column/20180427_0.html

 

「自分をほめてあげたい」と類似の言葉もよく聞くようになった,例えば「自分へのご褒美」 当初は若い女性がよく使うという印象だったが,最近では男女関係なく若い人たちがよく使うようになったようだ.

https://toyokeizai.net/articles/-/164289

https://tsubame-chem8.hatenablog.jp/entry/2020/12/06/%E3%80%8C%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%81%94%E8%A4%92%E7%BE%8E%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AE%9A%E7%9D%80

 

Ikee Rikako

ごく最近になって,白血病を克服した女子水泳選手が復帰後にすばらしい成績をあげて「自分をほめてあげたい」と語ったという.ある意味ナルシスティックなこのフレーズ,そしてその言葉を生む心情は,最近のスポーツ選手の間ではかなり一般化しているようだ.どのような分野であっても,一流になるためには人知れずたいへんな努力が必要なのは事実であろう.だから自己肯定をしたいという気持ちはよくわかる.だが私のような古い人間には,どうしても結果として勝った人間の,あるいは運が良かった人間の配慮のない発言であるようにしか思えないのだ.自己肯定をしたいという気持ちを持つことと,実際にそれを公言することは同じではない.

https://news.yahoo.co.jp/articles/87629d4c79db5d86fa7c11b7e334b894260c7389

 

まして「努力は必ず報われる」とまで言ってしまうとこれは明らかに失言といってよいだろう.二十歳そこそこの若いスポーツ選手で,しかも選手生命どころか命まで失う危険のある病気を克服してきた彼女を正面から批判する気にはならない.だが,この言葉は数多くの無名の人々,才能に恵まれなかったり運の悪かった人々を非常に強く攻撃する言葉であることは指摘しておきたい.

https://www.nikkansports.com/sports/column/tamesue/news/202104080000314.html

https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20210405-00231105/

 

どのような分野であっても成功するために努力が必要なことについては,多くの人が同意するだろう.しかし,圧倒的に多くの普通の人々にとって努力が必ず報われる訳ではないことは常識だ.努力は成功の必要条件であっても十分条件ではないからだ.成功は努力の他に,才能や,お金や,教育や,生まれ育つ場所や,人との出会い,そして努力することができる環境も含めて,幅広い様々な条件を必要とする.それらをすべてひっくるめて【運】と呼ぶのであれば,成功は一言で言って【運】しだいということになる.

 

スポーツだけの話ではない.研究やビジネス世界も同様だ.

マイケル・サンデルが,最近,「実力も運のうち 能力主義は正義か?」という本を出版した.

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9F%E5%8A%9B%E3%82%82%E9%81%8B%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%A1-%E8%83%BD%E5%8A%9B%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AF%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%8B-%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB/dp/4152100168/ref=tmm_hrd_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=

 

まだ読んでないからコメントする資格はないが,概要は以下の記事でわかる.

https://www.hayakawabooks.com/n/n2c36e7aad3a2

 

Michael Sandel

要は,実力のある人々や成功した人々はその理由として努力を強調するが,努力する環境や才能も含めれば,それは「運が良かった」ということに過ぎないということである.そんなことはないと即座にいえる人は,たとえ社会的に成功してようと,私から見れば理解力のない,人の上に立つ資格のない人である.

 

例えば,大学を退職したある男が,「私の父母の学歴は小学校卒で,父は工場労働者,母は女中だった.そのような家庭の中で私は努力して国立大学の教授になった」といったとしよう.これは一面では事実かもしれない.だがおそらく嘘でもある.運の良かった部分をすべて省いているからである.母が教育熱心だったこと.食費を節約しても本をたくさん買ってくれたこと.高度成長の真っ只中にいて庶民の生活も豊かになる時代に育ったこと.公立高校や国立大学の授業料が今より格段に安かったこと.自宅から通えるところに大学があったこと.その後の人との出会いも含めて,運の良かったことはたくさんあったはずだ.それらの一つが欠けても大学教授になることはできなかったろう.運がよかったからこそ,その男はこの駄文を書くことができているのだ.一方,その男の父は運がよくなかった.だから一工員として一生を終えたのだ.(工員という職業を蔑んでいるわけではない.さきほどの「運」としては書かなかったが,男の父は常に真面目で,一生懸命で,家族と会社のために尽くした.だからこそ男は大学に入ることができたのだ).

 

Ikee Rikako2

言いたいことは唯一つ.「私は努力した.だから報われた」,「私は私の努力をほめてあげたい」成功した人間がそうしたことを,独り言でなく,人前で,テレビ等の前で語ることは無神経にすぎると思う.だから,二度とそのようなことを言わないでほしい.テレビを見ながら応援しているから.