霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

ウイグル族に対する民族浄化

china.jpg

中国が自国民である少数民族に対して弾圧を続けている.チベット族ウイグル族内モンゴル族等に対してだ.中国には数十の少数民族がいるようだが,その中でも上記の3つの少数民族はそれぞれ自分たちの自治区チベット自治区新疆ウイグル自治区内モンゴル自治区 − を持ち,独立運動も続けている.中国政府はその独立運動を押さえつけるために,それぞれの自治区で激しい弾圧を続けているのだ.

これらの自治区が中国の領土になった経緯は複雑だが,Wikipedia等の記述を参考に大胆に簡略化するとその時期は,新疆ウイグル自治区は18から19世紀の清朝時代,内モンゴル自治区は1911年の辛亥革命後,チベット自治区は第二次大戦後の1950年前後である.

protest.jpg

中国の覇権主義共産党独裁の押し付けはとどまるところを知らない.1997年に一国二制度の条件付きで英国から返還された香港に対しては,その条件を完全に無視して強権によって中国化を進め,ここは中国だとの乱暴な主張を繰り返す.数十年前までは国際的に独立国と認められていて,今でも実質的に独立している台湾に対しても弾圧や軍事的圧力を加えている.

今日の話題は,そのような状況の中,新疆ウイグル自治区で中国が大規模に不妊手術を強制しているという話である.
https://www.asahi.com/articles/ASP2474KHP24UHBI00S.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/93175c8abc60b3bdf62341a3a1130b2c9ab51a57

結論から言おう.ひどすぎる話だ.

日本でも,ハンセン病(らい病)は遺伝するとの社会的な誤解から,そして人権意識の完全な欠如から,ハンセン病患者に強制的に不妊手術をすることが行われた.遺伝性の病気だとの誤解があったにしても,それは確かに社会的に国家的な意思の下で行われた非人道的行為である.決して許されない社会的・政治的な行為であった.

他の感染症においても,流行時には,無知と恐怖心と利己心と冷淡さから,感染者を差別し,排除し,理不尽な差別をするという行為が世界中で繰り返された.そうした社会的な理不尽と残酷が世界に遍在しているにしても,中国という国家が,仮にも自国民である何十万ものウイグル族の人々に,ただウイグルであるという理由だけで,強制的に不妊手術をすることは,絶対に許されない.これは中国国家による犯罪だと思うのだ.

米国政府は中国のこの行為をジェノサイド=集団虐殺と非難している.おそらくは,強制不妊手術だけでなく,さまざまな状況証拠から,実際に集団虐殺が行われていると強く推認されるためだろう.
https://news.yahoo.co.jp/articles/765311b2defd793cfa810d47514b45fbc668b2d1

私は,この強制不妊手術に関しては,ジェノサイドというより民族浄化=民族絶滅計画といったほうが適切ではないかと思う(もちろんジェノサイドは民族浄化の一部分).特定の民族の大人たちに強制的に不妊手術をし,子供を埋めないようにし,将来的にその民族の根絶やしをねらう.第2次世界大戦時に,ナチスドイツはユダヤ人を根絶やしにするためにシステマティックにガス室で大量虐殺を行った.1990年代,多民族国家であった旧ユーゴスラビアでは内戦が起き,他民族を根絶やしにすることを目的とする数々の残虐行為と虐殺とレイプが行われた.今回の中国の行為は,行為こそ違ってもそれらと目的はまったく同じ.ウイグル族を抹殺=民族浄化をする行為だ.

xinjiang.jpg

一つの民族を抹殺しようとする行為は,一つの動物種や植物種を絶滅に追いやる行為より,社会的に,世界的に,比べものにならないぐらい大きな非難に値する行為だろう.絶滅の危機に瀕する動物や植物を守ることも重要だが,一つの民族を抹殺する行為は比較にならないほど残酷で,私達は人間性と誇りにかけて非難すべき行為であるだろう.ウイグルの人々の自由への闘いに,私は全面的に支持をし,中国政府にできるかぎりの抗議をしたい(これを書くことぐらいしかできないが).

子供の頃 ー 昭和30年代から40年代初めだったが ー 横浜の繁華街にでれば,第二次大戦時の傷病兵が街角でアコーディオンを弾いて生活支援を求めていた.高度成長期,大学生ぐらいになったとき,横浜の港町のはずれでは,仕事を失った荷役夫達が公園のベンチで日向ぼっこをしていた.隣のベンチに座ってタバコを吸えば一本くれないかと声をかけられることもしばしばだった.彼らは皆穏やかだったが,人々は −私の親も含めて− そうした弱者たちに冷たいように見えた. 子供の眼から見た限りでは.

今の大学に勤務してから,数多くの留学生たちと接してきた.その中で忘れられない何人かの留学生達がいる.一人はウイグル族の学生だった.留学前に地元で美術の教師をしていたとかで,私の似顔絵を描いてくれた.やがて中国政府がウイグル族への弾圧を強めるにつれて,東京にウイグル族デモに出かけ,漢族留学生たちへの憎悪を深め,漢族学生達とトラブルを起こし,研究も疎かになって満期退学してしまった.ビザが切れて中国本土に送り返されることをひどく恐れていた.もうひとりは,内モンゴル族の女子学生だ.モンゴル語ネイティブのための日本語e-Learningの研究で学位をとって内モンゴルに帰ったのだが,その後内モンゴルではモンゴル語での教育が禁止されてしまった.

https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2020/07/post-56.php
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63816840U0A910C2910M00/

中国での少数民族の弾圧の記事を読むと,彼らのあの笑顔が思い出されるのだ.