霞喰人の白日夢

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コロナ禍と大学のオンライン教育

内田樹が,ブログ「コロナが学校教育に問いかけたこと」でオンライン授業について書いている.コロナ禍の渦中にあって大学教員たちは好むと好まぬに関わらず,手探りで慣れないオンライン教育に追い込まれた.そしてその予期せぬ結果として,授業からの学生たちの脱落が激減したという.課題を提出する学生数が前年度を上回り,平均点も上がり,オンライン教育は思いがけずに成功したと大学教員たちからの伝聞として述べている.

http://blog.tatsuru.com/2021/02/21_0910.html

おそらく,内田樹の周りの大学教員たちと今年3月まで工学部教員である私では,教える分野も授業の仕方も大きく違うだろうと思うが,例年に比べて学生たちの成績が目に見えて上がり,単位を落とすものが激減したという点では同様の経験をした.

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その成功の理由について,内田樹は,大教室での授業と違ってオンライン授業ではメール等で個別にメッセージを送ることができ,欠席者にも資料や課題を伝えられるようになったことで,教員に個体識別されているという社会的承認を学生たちが得たからだろうと論じる.そうした面も確かにあるのだろう.だが,昨年私が担当した授業の中で目に見えて成績が上がったのは学生数が毎年10数名しかいないクラスであった.そんな少人数のクラスでも同じ現象が起きているのだから,個体識別による社会的承認によって勉強意欲を維持できたことだけが成功の原因とも思えない.参考情報として述べておくと,昨年4月以降に私が行った授業は4つで,それぞれの人数は,少ない方から10数名(学部1年),40名前後(学部3年),約70名(大学院),約200名(大学院)であった.大学院講義でこれだけ人数が多いのは,昨今流行りの人工知能機械学習関連の授業であるために他専攻の履修者が激増しているからである.

学生たちの成績向上に関して私が考えた主な理由は3つある.一つは,パソコンの前で目に見えない学生たちに講義する教員達が,教室で講義するときよりも丁寧な説明をしたのではないかということ,2つめは,遠い教壇の上でからではなく目の前のパソコンから声が出て資料も示されるため,対面感があって集中できたのではないかということ.3つめは,例年ならサークル活動や社交で忙しく勉強が疎かになりがちな学生たちが,今年は時間を持て余して十分に勉強したのではないかということである.

教員が丁寧な講義をした点については,私自身いつもより丁寧に説明しているという自覚があった.パソコンの画面(Zoom画面)では学生たち全員の顔を見渡すことはできない.だから学生たちが説明を理解したかどうかわからないという不安があって,無意識のうちに丁寧で分かりやすい説明になったのだろう.いつもならだいたい早く終る講義が,時間ギリギリまでになることも多かった.

2つめは,本人に勉強しよう,理解しようという強い意思があり,スライド資料をパソコン画面に表示して講義する場合に限られるかもしれぬが,遠くの黒板や白板より眼前のパソコン画面のほうが視野角が大きく,ヒューマンインタフェースで論じられる臨場感が高まり,その結果対面感も強くなって集中しやすくなったと考えられる.声が近くで聞こえるということも大きいだろう.

最後の勉強時間が十分にあったことについては,もしこれが原因の一つだとすると,成績向上の大きな代償として楽しい学生生活を失ったことになる.世の中には,大学に支払う授業料は,知識教授や教育・訓練だけでなく,クラブ・サークル活動や友達づきあいといった大学生活を享受することへの対価でもあるとの主張が見られる.私はその主張には賛成できないけれど,大学が勉強や研究だけでなくサークル活動や友人づきあいを通して視野を広げ,人生の基礎となるものを培うところであることは否定しない.だから,過去1年間,新型コロナで大学生活を台無しにされた学生たちを本当に気の毒に思うが,そのことから学ぶことも得ることもたくさんあるはずだったと思うのだ.コロナ禍に大学生だった者たちは,そうでなかった者たちよりよく勉強・研究し,より優秀な人間になれる可能性がある.社会や人生について深く考えるきっかけを得て,よりよい人生を送れる可能性だってある.もしそのようなきっかけを得たとすれば,1年間のオンライン授業で失ったものをはるかに超える果実を得たと言えるだろう.

あらゆる時代のあらゆる人生において運・不運はつきものだ.そして,人生に影響を与えたと思えるできごとが − それが楽しいものであろうと苦しいものであろうと − 幸運だったか不運だったかは後になってみないとわからない.それどころか,日常のできごとの中のどれが人生に大きな影響を与えるかすらも事前にはわからない.起きたことが自分の将来にどのような影響を与えるかは,環境だけでなく本人の考え方や選択や努力にも依存するし,本人への依存割合は時間があるぶん若ければ若いほど高い.だから,このコロナ禍が苦しくて,それを悲しんでも,不運を嘆いてもいい.でも努力をすることは続けよう.そして絶望を感じることだけはやめよう.