霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

婚姻制度について

先週,新潟県から横浜に引っ越してきてやっと片付けが一段落したところだ.横浜の方が不動産価格が遥かに高いから部屋数が1つ減ることになったのだが,引っ越し前後の断捨離と片付けは本当に大変だった.記憶にない乳児の頃の引っ越しを除くと,二十歳以降,計八回の引っ越しを経験しているが今回が一番大変だった.印象的だったのは,昔と違ってモノを捨てるのに大変な手間と時間とお金がかかること.そして体力も.ついには腰も痛めてしまった...

今日は,朝日新聞の「耕論」,「婚姻制度 何のために」から.

https://www.asahi.com/articles/DA3S14878279.html

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私は社会的な問題について考える時,意識的にも無意識的にも弱い者の立場に立つことが習い性となっている.その意味で自分自身,分類上「リベラル」に属する人間だと思っているのだが,「婚姻」については,通常のリベラルから見ればたぶん保守的なのだ.つまり,「婚姻」とは,社会的にも,言葉の定義の上でも,男女もしくは女と男の関係であると思ってきた.昨今の同性愛者やLGBTの権利を擁護する社会的文脈の中でも,権利擁護と婚姻は違う話であって,「婚姻制度」と同等の権利を認める別名の制度を法的に作り,差別を禁止すれば済む話だと考えてきた.同等の権利を認める別制度を作るぐらいなら「婚姻制度」に含めてしまえばよいではないかという考えはある意味で合理的だけども,もしその単純すぎる合理性を社会が採用するのであれば,その法的制度の名前を「婚姻」ではない別名,例えば「社会的縁組」とか「パートナー制度」とかに変えてほしいと思うのだ(戸籍制度に影響を与えかねない話だし,そうだとすると民法全体を見直さなければならないだろうから大変なことは承知している).そして,法律から「婚姻」という概念を消し去り,社会的慣習の中だけに「女と男の婚姻」という概念を残して欲しい.

なぜか.それはたぶん,私の中の(ややロマンチックな)感情の問題なのだが,もっともらしい理屈を言えば次のようになるだろう.

人間は様々な属性を持つが,その中でも性別は最も本質的な属性である.年齢,肌・目・髪の色,体の形・大きさ・重さ,生誕地,宗教,言葉,習慣,体力,能力,職業等,そのような様々な人間の属性よりも,はるかに普遍的に,本質的に,大多数の社会でのグループ化や分類に使われてきた属性が性別なのだ.古今東西,有史以前の狩猟採集生活時代から現代に至るまで,ほとんどすべての国・地域で「女」と「男」は社会的に分けられてきた.昨今の底の浅いステレオタイプ・リベラルの間では「属性による分類」は悪であるかのように語られがちだが,分類こそが知識と知恵の基礎であり,人間の知性に欠くべからざるべき能力なのだ.社会における女と男の分類,それ自身を否定することがあるとすれば,それは人間の歴史と知性の否定でしかなかろう.

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女と男の分類が重要なのは人間だけではない.有性生殖をするほとんどすべての動物で「メス」と「オス」の区別は最も重要で,本質的に違う生態を持っている(ここでは性転換する生物がいる,などは重要でない.転換するにしてもメスとオスの区別があることが重要).例えばの話,生殖は動物にとって種の保存に必須の何より大切な行為であるが,オスが求愛し,メスがオスを受け入れるかどうかを選ぶというペアリングのパターンは,種ごとに具体的行動は違うにしても,相当な普遍性がある.

だから「婚姻」とは,人間という種における女と男の間の本質的な営みであると私は思うのだ.

朝日新聞の耕論に戻ろう.

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ロバート・キャンベルの「社会束ねる紐帯 同性婚も」には心を動かされた.彼が同性愛のパートナーと結婚を望む心情はよくわかる.だが,彼と彼のパートナーの不安は制度的・社会的に結婚と同等の権利が認められれば解消されるだろう.二人の祝福についても,皆が二人の縁組を祝い認めればよいのであって,「婚姻」あるいは「結婚」という呼称を持つ制度に固執する必要はなかろう.もちろん,家族や友人たちの間で二人は結婚している,と宣言することは自由だ.

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王谷晶は今の(日本の)結婚制度を否定している.結局は国民を管理するためだけにあるのだろうと見きっている.一方で,その枠組みに入らなければ認められない権利 − 遺産相続や医療行為を受ける際の同意等 − があることがおかしいだろうといっている.同性婚を求めるというよりは,法律婚をしようがしまいが,同性であろうが異性であろうが,実質に基づいて人権を認めてほしいということかな.それはよくわかる.

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もうひとりの論者,志田陽子は憲法学者.記事の内容は,憲法24条の「婚姻は,両性の合意のみに基づいて成立する」の「両性」をどう解釈するかの話だ.憲法論議は,75年前の時代状況の中で書かれた文章を現時点でどのように解釈すべきか,という話なので,どう解釈するにしても主観的・恣意的判断が入り込むしかないだろう.他人が書いた文章をどう解釈すべきか,なんて話には個人的に全く興味がわかないのでスルーする.

 

最後に.今回,この記事を書きながら改めて思ったことを書こう.暴論とされるのは間違いないだろうが,私が一番良いと思うのは,法律から「婚姻」という概念を一掃してしまうことだ.そして,家族や世帯は男女関係なく同意に基づく申告によって作れるようにすればよい.世帯解消もだ.世帯の権利と義務が明確であればそれで問題はなかろう.そうすれば,「婚姻」は社会慣習の中だけに存在する概念となり制度的な差別云々はなくなる.戸籍制度については..正直に行ってわからない.誰か適当に考えてくれ.なくなってもよいのではないか.