霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

人口減少と経済発展と資本主義

4月25日,今週の日曜日だったが,朝日新聞に『「人口信仰」からの脱却』という記事が載った.全2回の記事ということで,次回は5月9日のようだ.私は数十年前の若い頃から,ごく素朴に「資本主義経済下で経済成長は必要条件なのか」,「そうであるなら,なぜ経済は成長しなければならないのか」という疑問を持っている.経済を専門とする旧友,とても誠実な大学教授にわかりやすい説明を求めてみたこともあるが,聞いても納得できなかった(説明内容は忘れてしまった).そんなこともあって上記の記事を興味深く読んだのだが,内容は過疎の町村で頑張って生きている人々の紹介・報告に終始するもので,私の期待とは違った.第2回の記事に少しはヒントになる内容があればいいと楽しみにしている.

https://www.asahi.com/articles/ASP4S6VYKP4LTLZU001.html

 

あらためて,なぜ経済は成長しなければならないのだろうか.人々がある程度満足できるまでに達したら,あとはゼロ成長でもよいのではないか.

 

その前に,日本の衰退と人口減少について考えてみよう.

多くの論者が,現代日本の衰退(継続する経済不振と解決できない社会的諸問題)の本質は高齢化を含む人口減少だと言う.簡単に要約すれば,人口が減少するから個人消費が減少し,個人消費が全体の6,7割を占めるGDPも当然のように伸びない(GDPは,個人消費額+企業投資額+政府支出額+輸出額である).GDPが伸びないということは景気が冴えないわけで税収も伸びない.我々の給料も上がらない.だから個人消費が伸びるはずもなく,悪循環となる(企業の内部留保が増え続けていることについては,ここでは触れない).

日本が全体としてあるいは平均として豊かになれないだけでなく,社会内部では貧富の差も広がっている.格差は基本的に分配の問題であるが,全体が低下傾向の中で格差が広がれば貧困も増える.同時に,高齢化の影響による医療や福祉予算の自然増もある.増大する貧困と高齢化のダブルパンチで福祉予算の拡充が必要だが,冴えない景気の中,税収不足で十分な予算を取ることができない.国や地方自治体の赤字も増える.

赤字削減には増税が手っ取り早い.だが,富裕層や企業は減税しないと外国に逃げてしまう,との論理で彼らの税金を上げることはできない.だから庶民も支払う消費税を上げるしかない.そして消費増税をし,景気はさらに冴えなくなり,もう一つの悪循環が起きる.つまり,これらの悪循環のすべての始まりが人口減少だというのだ.

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人口減少がすべての原因であるなら(それだけではないと思うが,人口減少が主要な原因であることには同意する)人口を増やせばよい.シンプルすぎる解決案だ.だが人口を増やそうにも2つの大きな障害がある.一つは,家族や親戚がお互いに助け合って生きる(自助・共助を社会の基本とする)美しい日本の伝統を復活すれば解決すると考える与党・政府の超保守政治家たち.家庭が子育てや養老の一義的責任を持ち,お国の発展のために一致団結すべきだ,そのためには何より教育が重要と考え,道徳科目で「我が国の伝統と文化」を教え,国旗・国歌を義務化し,美しい日本を守ろうとしたご先祖様(靖国神社)にお参りを欠かさない.こうした恐竜のような人たちが支配する今の日本で,まして家庭を持つにはお金がかかるのにいつまでも給料の上がらない日本で,若い人たちが結婚して子供を作り,家庭を持って生きていこうという気になれないのはやむを得ないだろう.

もう一つの障害は,個人がどう生きるかは個人の自由だ,働いて一人で楽しく毎日生きてるのに,結婚だとか,子供だとか,家庭とか,地域とか,社会とか,大きなお世話だ,そんなことを押し付けるのはパワハラだ,セクハラだ,結婚した専業主婦の家庭と違って我々は一人ひとりが働いて所得税を払って義務は果たしているんだ,などと勘違いして主張する若者たち,そしてそれに同調するステレオタイプ・リベラルたち.

我々人間は −− 孤島で生きるロビンソン・クルーソーを除けば −− 社会を作り,社会の中で関係性と相互依存性を持って生きている.税金を払えばあとは個人の勝手だろうというわけにはいかない.そして社会というシステムは,そもそもの成り立ちからして,存在継続を自身の最重要目的としている.社会システムの構成員である以上,社会の存続性を脅かす構成員に注意やアドバイスを与えるのは当然だし,当然の注意を無視したり反抗する人間は批判されて当たり前だろう.だが,今の軟弱な軽〜い日本社会では,手垢だらけになった凶暴な言葉 − パワハラとかセクハラとか個人の自由 − が社会的な力を持ってしまい,多くがそれに同調するようになってしまった.つまり,「結婚して子供を産もう,それが幸せだ」という有史以来ほとんど世界中で認められてきたこと −− それが生きることの前提でなくなった社会は滅びるしかなかろう −− を,強要ではなく,ただ言うことですらできない社会になってしまった.

 

人口増加の障害についての話が長くなってしまったが,人口減少による経済停滞について考えてみよう.言いたいのは,人口減少が経済発展(GDP増加)を妨げているのが事実だとしても,一人当たりの「実質GDP」あるいは一人あたりの豊かさがほぼ一定であればそれでよいとは言えないのだろうか,ということである.昨日の生活が経済的に幸せだったなら,そして今日も昨日と同じ暮らしができるなら,それでいいではないか.昨日より今日が金持ちになっていなくてもいいではないか.なぜ,経済を専門とする人々はそのように言えないのだろうか.

人々が皆,現状に満足しているのなら,そして人口に変化がなければ,経済が成長する必要はないし,人口が減ってマイナス成長の経済になったとしても,経済のマイナス成長幅が人口減少幅と同じであれば問題ないということだ.

問題があるとすれば,一つには,人々が常に上を見ているからだろうか.今日,人口分布上で下から50%のところの豊かさだったら明日は51%の豊かさのところに上昇したい,そう思うことは理解できる.しかし,昨日50%で幸せだったら,今日51%になれなくても,昨日と同様に幸せだと感じることもできるだろう.それは,何に対して人生の幸せを感じるかということであり,人間性に関わることである.知性を重視し,教育を重視する社会であれば克服できないことではない.実際,ほとんどの高齢者はそのように生きているし,大半の現役の庶民もそうであろう.

ゼロ成長を受け入れられない,克服できないのは,資本主義が富の増大を,より正確に言えば資本家たちの富の増大を目指すシステムであるからだろう.本来の資本主義の概念に「資本家たちの富の増大」が前提として組み込まれているのかどうかは知らないが,少なくとも現代の現実の資本家たち,企業家たちを見ている限り,どれだけ金持ちになってもお金が足りないと感じているように見える.儲けて,稼いで,金を貯めまくる,それが自己目的化しているように見える.彼らが,他の人々の収入,つまり庶民の収入を奪ったり削ったりせずに新たな富を生み出し,純粋に社会の富を増やしてその増分未満を儲けとして受け取っているなら問題ない.その場合は経済全体(GDP)を伸ばし,社会にも貢献していることになる.しかし,GDPが伸びない中で個人的利益を増大しているなら,あるいはGDPの増分以上に彼らが稼いでいるなら,彼らは庶民から富を奪っていることになる.

そして,おそらく,というよりほぼ確実に,それが現代の資本主義社会で起きていることだ.米国でも,日本でも,欧州でも,アジアでも,つまり世界中で起きている.

 

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