霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

軍艦島についての記事から

Gunkan-jima1

朝刊の片隅に,軍艦島の展示について小さな記事が載っていた.日本の世界遺産の一つ「明治日本の産業革命遺産」に関するユネスコの調査報告書についてだ.報告書は,軍艦島に関する証言の展示が不十分で,見学者がその歴史について適切な判断ができないと指摘し,適切な判断ができるように「多様な証言」を展示すべきという.

https://www.asahi.com/articles/ASP7D7CYXP7DUHBI02J.html

 

Gunkan-jima2

新聞記事には,『朝鮮半島出身の徴用工への差別は「聞いたことがない」とする証言が展示されており』とあるから,おそらく,朝鮮人徴用工への差別に関する証言はこれ以外に展示されてないのだろう.証言だけでなく,この他の差別あるいは差別の有無に関する展示も全くないのだろうと,記事からも,現在の日本の政治状況からも想像できる.

 

Gunkan-jima3

ふう..またか..そんな気分である. 人は誰でも自分をよく見せたいという欲望を持つ.自分の醜い部分を隠し,すばらしい部分だけを世間に見せて生きていきたいという感情は普遍的だ.そして感情だけでなく,実際に自分の醜い過去を隠して生きることも,我々は自分のこととして経験している.こうした感情や想いを,醜さを隠して生きる人生を非難することはできないし,その程度の弱さは許してほしいと思う.嘘さえつかなければ.そして隠すことの許容を夫婦や家族,親戚の不祥事のレベルまで拡張してもよいだろう.私的な組織である限りは.しかし,国や地方自治体や大会社,個人でも政治家や社会的な影響力の大きい有名人など,公的な存在であれば話は別である.特に,世の中に大きな悪影響を与えたことに関しては半永久的に隠してはならないし,国民や他国民,他民族全体を苦しめた場合には,一生あるいは人間の一生に相当する期間ぐらいは謝罪の気持ちを持ち続けるべきだろうと思う

 

coal mine

1960年代,石炭から石油へとエネルギー転換が進む中で,日本の近代化を支えた石炭鉱山は閉山が相次ぎ,炭鉱の多かった北海道や九州からは多くの労働者が都会に流入した.京浜工業地帯を抱える横浜の小中学校にも多くの転校生がいたと思う.しかし,私が軍艦島を知ったのは1974年の軍艦島閉山時.記憶がおぼろだが,その後数年の間に閉山後の軍艦島を紹介するドキュメンタリー番組を見たり,軍艦島を舞台にする映画も見たと思う.その強烈な印象だけは強く覚えていて,いつか軍艦島に行ってみたいと思い行き方を調べたこともあった.しかし,2015年に世界遺産に指定されてからは行く気を失ってしまった.

 

coal mine2

炭鉱労働者の過酷さと貧しさは,軍艦島のドキュメンタリー番組だけでなく,五木寛之を始めとする様々な小説や映画等々で知った.朝鮮半島から強制的に徴用された労働者がいたことも若い頃にNHKかTBSの番組で知ったが,簡単に触れただけで差別への言及はなかったように思う.現在,その徴用工をめぐってひどい差別行為があったかどうかが問題になっているわけだが,私の直感で言えば,当時の社会状況から考えると,間違いなく雇用者や上司等から差別的待遇・差別的言動が,常にとはいわずともごく普通にあったろうと思う.もちろん,同じように生命を賭けて石炭を掘る日本人の同僚達とはある意味での仲間意識が芽生えることもあったろう.友情が芽生えることもあっただろう.炭鉱での過酷な仕事の内容もそれほど大きな差はなかったかもしれない.しかし,あの時代に,日本人と朝鮮人の間に待遇の差や,地位の差や,言葉遣いの差や,ときにはいわれのない暴力などがなかったとは思わない.それを差別と呼ぶことに違和感は全くない.

 

coal mine3

戦前の日本の軍政とその残虐さについてある程度の正しい知識と良心を持っている人間であれば,『徴用工への差別は「聞いたことがない」』という証言に疑問を持って当然だろう.もしその証言だけが展示され,他に差別についての言及がなければ『差別を隠そうとしている』と思われても仕方がない.当事国(日本,韓国)を除く国々のまっとうな研究者達の大半は,占領地で日本軍が激しい弾圧と差別行為をしたことを知っているのだから.

 

UNESCO

ユネスコが求めているのは,差別があったことを認める展示をしろということではない.「多様な証言」を展示しろと言っているのだ.もし展示する自治体の担当者がネトウヨや右翼タカ派を恐れているのであったとしても,それぐらいのことはできるだろう.ユネスコの要求を拒否せずに,誠実に,多様な証言を展示してほしい.それをしなければ,私が夢見た軍艦島が,薄汚れてしまう.