霞喰人の白日夢

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五輪での黙祷について -- ヒロシマとミュンヘン五輪事件

skateboard

コロナ禍の中での東京五輪.2,3ヶ月ほど前まで,新聞社やテレビ局による調査では開催中止または延期を求める声が多数派だった.菅首相が国民の声を無視し続けたまま開催1ヶ月ほど前になると,国民の多くは"開催"という既成事実を受け入れ,有観客か無観客かの議論に焦点は移った.そして直前になって無観客開催が決まり,いったん東京五輪が始まると,それまでの議論を忘れたかのように新聞・テレビは五輪報道に溢れている.今はもう,五輪でないテレビチャネルを探すのが難しいほどだ.

 

atomic bomb

そのようななか,いつもの年と同じように8月6日と9日が近づいてきた.広島と長崎への原爆投下の日である.8月2日にあった報道によると『組織委員会は、6日の広島の「原爆の日」に選手や関係者に黙禱(もくとう)を呼びかけるなどの対応はしないことを決めた。広島県内の関係者には失望の声が広がった。』とある.

https://www.asahi.com/articles/ASP823RBWP82UTIL00C.html

 

どのように考えたらよいのだろうか..

 

とりあえず,やたらに長いオリンピック憲章を眺めてみると,その10ページめに「オリンピズムの根本原則」がある.根本原則には7項目があるのだが,その2番めにオリンピズムの目的が書かれている(他の項目は自分で確かめてください).

https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2020.pdf

 

olympic

【オリンピズムの目的は,人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を目指すために,人類の調和のとれ た発展にスポーツを役立てることである】

【The goal of Olympism is to place sport at the service of the harmonious development of humankind, with a view to promoting a peaceful society concerned with the preservation of human dignity.】

 

よくありがちな大変に立派な目的だが,五輪のテレビ中継を見ていてもそれはまったく感じない,などと揶揄するつもりはない.だが,スポーツを「人類の調和のとれた発展」のためとし,また調和のとれた発展は「人間の尊厳に重きを置く平和な社会」を推し進めることだとするのなら,原水爆や戦争の犠牲者たちに思いを馳せることも,五輪の大きな役割といってよいだろう.そして今回日本で開催するのであれば,広島と長崎の原爆犠牲者慰霊は五輪の目的を再認識する意味でも望ましいと,日本の立場からは言ってよいだろう.

 

Nankin

ただし,問題はある.原爆は人間の尊厳に関わることであると同時に,建前上IOC国際オリンピック委員会)が嫌っている政治的な意味も持ちうるからだ.例えば,正否は脇に置くが,米国には原爆投下は正しい判断だったと固く信じている人々がたくさんいる.特に太平洋戦争の記憶があるお年寄りに限れば多数派といってもよいだろう.数は少ないかもしれないが,大戦時に日本の捕虜となったイギリス,オランダ,オーストラリアの人々も同様だ.さらに日本を除く東アジアにも,第二次大戦時の加害を認めようとしない政治家たちを与党議員として選び続ける日本が原爆被害を訴えることに,嫌悪感や反感を持つ人々が大勢いる.それらの国々から五輪に参加している選手たちもいる.彼らに,原爆犠牲者慰霊の呼びかけることは,決着のつかない政治論争を引き起こしかねず,全人類の平和を望む五輪であれば避けるべきとも考えられる.

 

ところで,私は開会式をチラリと見ただけで知らなかったのだが,BBC,HUFFPOST,毎日新聞の記事によれば,開会式では1972年のミュンヘン五輪パレスチナ・ゲリラに殺害されたイスラエル選手・コーチ11人に対して黙祷が行われたという.

 

BBC

https://www.bbc.com/japanese/57951366

HUFFPOST

https://news.yahoo.co.jp/articles/acebb666e1ba602a7854311305aeb9d4b80fd542

毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20210723/k00/00m/050/317000c

 

しかし,産経新聞はこの事件には一切触れずに,コロナ犠牲者への黙祷が行われたと報道する.

 

産経新聞

https://www.sankei.com/article/20210723-WG6LXO2QOJPGXIXYGA44TCW7NE/?outputType=theme_tokyo2020

 

実際のところ,どのように行われたかはよくわからないのだが,おそらくはイスラエル選手等殺害事件への追悼を主にし,同時にコロナ犠牲者への追悼も行われたというところなのだろう.

 

silent prayer

BBCとHUFFPOSTには書かれているが,この黙祷は,イスラエル選手らの家族が長年求めてきたもので,IOCが拒否してきたものらしい.ジャック・ロゲIOC会長は,黙とうは「不適切だ」と述べていたという.しかし今回,どのような理由かは知らぬが,ドイツ人のバッハ会長は,開会式でミュンヘン五輪の犠牲者とコロナ犠牲者に黙祷することを選び,8月6日に広島原爆の犠牲者に黙祷しないと決めた(発表したのは組織委員会だが,バッハの意向だろう).

 

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私は,前述の理由から東京五輪で8月6日に黙祷しないと決めたことは妥当だと思う.そして,同様の理由でミュンヘン五輪の犠牲者への黙祷についてはジャック・ロゲ元会長の判断を支持する.つまり,コロナ犠牲者のみの黙祷をし,ミュンヘン五輪は含むべきでなかったと思う.それは,イスラエルパレスチナの長い争いの歴史を見れば(2000年以上前のことは忘れて,この80年だけをみれば),パレスチナが一方的な被害者と言ってよいからだ. 現在,パレスチナ自治区ヨルダン川西岸とガザ地区に分かれるが,ヨルダン川西岸には国連決議に反してイスラエルが入植(侵略)を進めている.ガザ地区は「天井のない刑務所」とも「ゲットー」とも呼ばれるような劣悪の地だ.

 

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軍事力を比較すればこの二者の戦いは大人と子供の戦いといってよい.パレスチナの少年たちが石を投げればイスラエル兵は戦車から銃撃をする.ハマスがロケット砲を発射しても90%は迎撃される.さらに報復として不釣り合いな規模の空爆が行われる.戦争という名を使うのが不適当なほどに犠牲者の数も軍事力も違う非対称の戦いなのだ.

 

だから,パレスチナの五輪委員長は「ミュンヘン被害者のための黙祷は必要なかった」という.不条理な大きな戦いの中で,文脈を無視して一部だけを切り取り,その犠牲者のみを悼めば,悼みの対象とならなかった多くの犠牲者とその悲しみに暮れる人々に,より大きな悲しみと苦しみをもたらすだろう.

https://www.arabnews.jp/article/japan/article_46060/

 

原爆犠牲者への黙祷に戻ろう.私は五輪の最中に競技を中断して全参加者に黙祷を求めることには賛成しない.だが,犠牲者を悼もうとする人々が黙祷できるように,時間を空けておいてほしかった.6日の競技を9時以降に始めればよいだけだ.それによって五輪の期間が長引くなら9日の午前中も開けておく.それぐらいのこと,やる気になればできるだろう.