霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

カブール陥落とサイゴン陥落,そして米国の裏切り

afgan

今年4月にバイデン大統領がアフガニスタンからの米軍撤退を決めた.一部ではなく,多くの報道は撤退がもたらす結果について心配していたように思うが,実際に米軍の撤退が始まるとタリバンは急速に支配地域を拡大した.そして8月に入るとタリバンの支配地域拡大は加速し,今週に入ってからは,あっという間にアフガニスタンの第2,第3の都市を支配下に置いた.そして今朝,起きてみたらアシュラフ・ガニ大統領は国外に脱出し,カブールは陥落していた.

 

4月:アフガン駐留米軍、9月11日までに完全撤退へ

 https://www.bbc.com/japanese/56741631

6月:タリバン、アフガンで支配地域拡大 米軍など撤退進む中=国連

 https://www.bbc.com/japanese/57577048

7月:米軍撤退とともに加速化するタリバンの勢力拡大

 https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23576

8月:タリバン、アフガン6州都制圧 米軍撤退完了前に勢力急拡大

 https://jp.reuters.com/article/afghanistan-conflict-idJPKBN2FA1OA

8月:タリバン、アフガン第3の都市制圧 西部ヘラート

 https://news.yahoo.co.jp/articles/a73d010df9ca6497f0d37dcdb02debd88be46ac0

 

今朝,カブール陥落のニュースを聞いて真っ先に思い出したのは,1975年4月30日のサイゴン陥落である(サイゴンは現在のベトナムホーチミン市).

 

当時,私は大学2年になったばかりだった.同じ学科には南ベトナムからの私費留学生(南ベトナム政府奨学金による留学生)とカンボジアからの国費留学生(日本政府奨学金による留学生)が一人ずついた.二人の留学生の学籍番号は日本人学生の後につけられ,私はあいうえお順で一番最後だったこともあって,実験などの授業で私たちは同じグループになり,よく話をする間柄になった.

 

cambodia

サイゴン陥落はGW中だったが,二人はGWが終わってもすぐには大学に現れなかった.ベトナム留学生にとっては奨学金を支給する祖国が4月30日に消滅したわけだし,その直前の4月17日には,カンボジアの親米ロン・ノル政権もクメール・ルージュに倒されていたのである.カンボジア留学生は日本政府支給の奨学金だからすぐに金銭的に困ることはなかったはずだが,それでも祖国の新米政権が共産主義勢力に倒されたとなれば,大学で勉強をしているどころではなかったろう.

ベトナムカンボジアは隣り合う国である.しかも共に共産主義と戦う親米政権の国から日本に留学してきた者同士であり,その2つの政権が相次いて敵対する共産主義勢力に倒されたのである.だからというわけではないかもしれぬが,入学のときから,二人は大学で一緒にいることが多かった.しかし,ベトナム戦争終了後1ヶ月もしないうちに,それまで共闘していたクメールルージュとベトナム共産党は仲違いをし,カンボジア・ベトナム戦争が始まってしまったのだ...

 

その後,ベトナム留学生はいつの間にか大学から姿を消した.カンボジア留学生は博士課程まで進んだはずだが,私は修士課程修了後,会社に就職したこともあって彼と連絡を取り合うこともなく消息はわからなくなった.就職後4,5年たった頃であろうか,カンボジア留学生団体の代表として会見を行った彼の名前を新聞で見たが,それきりになった.

 

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今,ちょうど,テレビに空港で離陸する米軍機を追いかける多くのアフガニスタンの人々の映像が流れた.彼らの大半は米軍への協力者や政府関係者なのだろう.そうだとすれば,彼らもカブールを脱出しようと必死のはずだ.何日か前に陥落した都市では,米軍や政府に協力したアフガニスタン人達が公開処刑されたというニュースもあるのだから.首都カブールにはもっと多くの政府関係者・米軍協力者がいるはずだろう.脱出する飛行機に搭乗できなかった彼らは,これから身分を隠し,タリバンによる処刑の恐怖を抱えながら生きていかなければならないのだろう.

 

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サイゴン陥落時にも多くのベトナム人たちが空港で離陸する米軍機やヘリコプターを追いかけたという.当時の映像を見たわけではないが,ベトナム戦争映画でそのようなシーンをみた.そしてそのときに脱出できなかった人々の多くは,ベトナムだけでなくカンボジアラオスの人々も含めて,その後ボートピープルとなり,小さなボートで南シナ海に乗り出した(カンボジアと同様,ラオスベトナム戦争に巻き込まれていた).ミャンマーを逃れたロヒンギャや,アフリカや中近東の戦闘を逃れて地中海へ漕ぎ出した人々のように.そして目的地にたどり着けず,海の底に沈んだ人たちは大勢いたはずだ.

 

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私が現役のときに教えた学生の中にラオスからの留学生が一人いた.彼女の父方の親戚たちは昔,父親を除く皆がボートピープルとしてラオスを脱出したという(内陸国からどのようにボートに乗ったのかはわからない).父親だけがボートに乗らなかったのは,結婚を約束した女性 - 彼女の母親 - がいたからだという.それ以上詳しくは聞いていないのだが,ラオス王国で裁判官だった彼女の父親が,新しいラオス人民民主共和国で順調な職歴を持てるはずもなく,ずいぶんと苦労をしたとの話であった.

 

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思い出に引きずられ,とりとめのない話になった.だがアフガニスタンでも,これから多くの人々が国を脱出するだろう.東のパキスタンタリバンの拠点でもあるから,西のイランか,北のトルクメニスタンウズベキスタン,あるいはタジキスタン.まずはそこに出国して,それからどこか他国を目指すのか..

 

どこに脱出するにしても,その後,楽で幸せな人生を送れる人は多くないだろう.ベトナム戦争もアフガン戦争も,様々な事情があったのは事実だが,基本的には米国がしかけた戦争である.もちろん「資本主義を守る」,「民主主義を導入する」,「テロを根絶する」などという大義名分はあった.しかしどのような大義名分があるにせよ,自らしかけた戦争がうまくいかず,諦めて撤退する時,米国の善意を信じて協力した人々があっさり見捨てられるのは,あまりにも残酷だし仁義がなさすぎる.見捨てられたものにとっては米国のあるいは国際社会の裏切りであろうし,そうした裏切りの想いは憎しみを生む.そして,憎しみは新たな対立や戦争の種になるだろう.

 

新たな戦争が新たな憎しみを生み,憎しみと戦いの連鎖がいつまでも続く..