霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

無意味さに耐える能力

内田樹が「無意味耐性の高い人たち」という文章を書いている.

http://blog.tatsuru.com/2021/08/16_0819.html

 

今年の広島平和式典で問題になった菅義偉の「原稿読み飛ばし」についてである.たかだか6分程度の原稿を読むのに7ヶ所読み間違えたことにも驚くが,約120字分読み飛ばして,全く意味の通らぬ文章を平然と読み進めたことには少し唖然とする.「少し」というのは,今までの菅義偉の言動の異常さというか,非常識に比較すると,それほど驚くことではないような気さえしてしまうからだ.

 

 

内田樹は「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを「無意味耐性の高い人」と呼び,日本社会になぜこのような人が多いのか考察している.今日はこのことについて少しだけ私の考えを書こうと思うが,その前に菅義偉の広島平和式典での挨拶原稿についてふれておこう.

 

まず次の記事によると,菅首相の挨拶文の全体構成は昨年の安倍前首相のものとほぼ同じだったそうだ.

https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/suga-hiroshima

 

それに加え,長崎平和式典での挨拶文には「広島と同じ文言が随所にみられた」という.

https://www.asahi.com/articles/ASP896CRRP89TIPE002.html

 

前任の安倍首相はコピペの常習犯で,昨年の広島と長崎の挨拶は約9割が同一だったというから,それに比べればマシだったといえるかもしれない.しかし挨拶の中の言葉とは裏腹に,十分に準備・推敲された原稿とはとてもいえないことを考えると,前任の安倍晋三と同様に,一国の首相として,戦後日本の平和の象徴あるいは軍国日本の蹉跌ともいえる「ヒロシマナガサキ」を重要視していないことがよくわかる.

https://www.asahi.com/articles/ASN8C5SJZN8CULFA013.html

http://tamutamu2015.web.fc2.com/kopipeabe.htm

 

以上の事実を認識した上で今年の広島記念式典での菅首相の読み誤り・読み飛ばしを聞いてみると,内田樹の指摘どおり,事前に目を通すなどの準備を全くしていなかっただろうことがよくわかる.スピーチライターから昨年の安倍晋三前首相の原稿とほぼ同じ内容であることぐらいは聞いたであろうが,事前に目を通して手を入れようなどという真剣さは全くなく,その場で与えられた原稿を読めばいいんだろうという程度のやる気のなさだったとしか思えない.

 

例えば,自分自身が大事な式典でうかつにも120字分の文章を読み飛ばし,全く意味の通らぬ文章を読み上げてしまったとしよう.そのことに気づいた時に慌てるかどうかは人によるだろう.だが実際にそれをやってしまったとき,通常の人であれば一旦読むのを止め,何を間違えたかと一瞬でも考えるのではないか.瞬間の判断でとりあえず少し前から読み直すかもしれない.しかし菅義偉にはそうした素振りはまったくなかった.つまり,読み飛ばしたことに気づいていなかったのだ.そのことから推測できることは,彼は自分の言葉を心で追わず,ただ機械的に読んでいた.学校の教室で先生に当てられ,しぶしぶ教科書を読んでいる小学生のようにただ字面を追っていたのだろう.

 

もしかしたら空っぽの頭で機械のように読んでいたのではなく,他のことを考えながら読んでいたのかもしれない.どちらが事実かは分からぬしどうでもよいのだが,間違いないのは,原爆慰霊の気持ちを持って首相の話を真剣に聞いていた広島の人々や犠牲者の家族を傷つけたことだ.さらに踏み込めば,菅義偉は彼らを傷つけたことについてすら気づいていないようだ.

 

ところで「無意味耐性の高い人」について,内田樹は日本にはこのような人が「大勢いる.あるいはもう日本人の過半がそうなのかも知れない」と書く.しかも「これは現代日本ではある種の『社会的能力』として高く評価されている」とすら書く.

 

ぎょっとする話だ.だがよく考えてみれば,国会では国家公務員採用総合職試験(昔は違う名前だったと思う)に合格し,出世して高級官僚になった者たちが,野党の質問に対して答えにならない答弁,意味の通らぬ答弁,あるいは事実とは思えぬ答弁を意図的に,そして平然としているのだ.ときにはまともな日本人とは思えないほどに言葉を捻じ曲げて法律や規則を「解釈」してみせる.虚偽である明白な証拠を示されなければ何を言っても「嘘」じゃないと言いたげだ.そのようにして国民を欺く明らかな悪意を,東大などの一流大学で鍛えた地頭を絞って実行するのだから始末に悪い.おそらく国会に出てくる高級官僚たちは,野党の政治家や野党を支持する国民たちを全く馬鹿にして,まともに答える必要がない,コミュニケーションを取る必要もない,と思っているのだろう.

 

視点を変え,組織における「無意味な仕事」についても考えてみよう.つい半年前まで,私が勤務していた国立大学にもそれは溢れていた.内田樹が指摘するように,無意味な仕事は上意下達が徹底している組織に多いのだが,日本の公務員組織は上意下達がすべてといってよい.現在,国立大学の職員・教員は公務員ではないが,2004年3月までは公務員だったし,今も文部科学省の【高級官僚さま】に予算や規則でがんじがらめに縛られている.法人化した後も国立大学は事務職員を中心とした上意下達の組織なのであり,教員たちは複雑極まる規則の塊にがんじがらめに縛りあげられた組織上のお飾りなのだ.

 

昨今は,国立大学教員にとって無意味な仕事 -- 大学教育の「ダ」の字も,学術研究の「ガ」も知らない市場原理主義有識者たち = 民間企業の経営者たちがその場の思いつきで提案する大学改革 -- がつぎつぎと襲ってきて,虚しい仕事に追われる日々になった.国立大学は独立した法人ではないかと思うかもしれないが,一般の民間企業に例えれば,文部科学省が本店,国立大学を支店と考えれば実態がわかりやすい.金儲けしか考えたことのない民間有識者たちが求める教育・研究 -- 金儲けビジネスモデルを考案し実行する能力を育てる教育と儲かる製品やサービスを考案する研究 -- を本店が新しい大学の姿として受け入れ,それを全国の支店に有無を言わさず押し付ける.だから,支店でも本店の意向に従うイエスマンのみが幹部となり,その中の誰かが支店長=学長になる.それが,日本の国立大学の現状だ.

 

無意味な上意下達の命令に疑問を呈すること.明らかに誤った指示にNOを表現すること.それが勇気ある個人の行動としてではなく,我々日本人の普通の行動として一般化することは不可能なのだろうか.そのことが,コロナ禍で苦しむ今,正しい判断が国民の命に直結する今でこそ,必要なのではないだろうか.安倍政権と菅政権に脅されて,あるいは遠慮して,政権に不都合な内容の報道をやめたり薄めたりする日本の大手マスコミのことを考えると,道のりは険しそうだ.日本のマスコミに,香港のりんご日報の責任感と勇気を望むのは無理なことなのだろうか.

 

以下は,2002年以降の世界報道自由度ランキングにおける日本の順位とそのときの首相である.一見して分かるのは,安倍晋三が首相のときは報道自由度が低く,民主党政権時は自由度が高かったことだ.菅義偉政権になっても安倍晋三のときと同じく低い.

 

世界報道自由度ランキングの推移

 

2002--26位 小泉純一郎(自民)

2003--44位 小泉純一郎(自民)

2004--42位 小泉純一郎(自民)

2005--37位 小泉純一郎(自民)

2006--51位 小泉純一郎(自民) --> 安倍晋三(自民)

2007--37位 安倍晋三(自民)--> 福田康夫(自民)

2008--29位 福田康夫(自民)--> 麻生太郎(自民)

2009--17位 麻生太郎(自民)-->鳩山由紀夫(民主)

2010--11位 鳩山由紀夫(民主)--> 菅直人(民主)

2011-(22位) 菅直人(民主) --> 野田佳彦(民主) (2011と2012をあわせて2012に発表)

2012--22位 野田佳彦(民主)--> 安倍晋三(自民)

2013--53位 安倍晋三(自民)

2014--59位 安倍晋三(自民)

2015--61位 安倍晋三(自民)

2016--72位 安倍晋三(自民)

2017--72位 安倍晋三(自民)

2018--67位 安倍晋三(自民)

2019--67位 安倍晋三(自民)

2020--66位 安倍晋三(自民) -> 菅義偉(自民)

2021--67位 菅義偉(自民)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A0%B1%E9%81%93%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%BA%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0