霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

戦う映画は見たくない

戦う映画が苦手だ.はっきり言えば,苦手というより嫌いなのだ.だから,やたらと戦いが多い最近の映画(私が言う「最近の」は,家人に言わせれば「ずいぶん昔の」ということになるらしい)はあまり好きではない.そしてその意識がどんどん強くなってきた結果,「私は映画が好き」とは言いづらくなってしまったと感じている.

 

Bonnie and Clyde

鬼滅の刃」なんて題名を見ただけで見る気を失う.エヴァンゲリオン? 内容は全く知らないが,ちらっと何かの絵を見ただけで私の見る映画じゃないという感じ.「ハリーポッター」はなかなかよい物語で,戦いの場面がそれほどある映画ではないらしいのだが,家族がアマゾン・プライム映画で見ている様子を横目でちらりと見たときにいつも戦っているような気がするので,私は見ない.そんな調子で映画の選り好みをするものだから,映画好きであったはずが,気づいてみるとずいぶん見ていないな,ということになってしまう.

 

Butch Cassidy and the Sundance Kid

そんな私でも,戦いの場面があるのに好きな映画はある.「俺たちに明日はない(原題:Bonnie and Clyde, 1967)」,「明日に向かって撃て(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid, 1969)」,そして「レオン(原題:Léon, 1994)」である.どれも随分と昔の超有名な映画だ.

 

 

Leon

前の2つは私が大好きだったアメリカン・ニューシネマの代表作である.どちらも物語の中に,当時としては暴力的に見える銃撃戦の場面があったと思うが,昨今の多くの映画のように戦闘場面そのものをエンターテインメントとして見せようとしている訳ではない.「レオン」はフランスと米国の合作でアクション映画に分類されるから戦闘そのものを見せる場面もある.しかし他のアクション映画とは違って,興奮やスリルを楽しませるための場面ではないと感じる.疎外の中で生きてきたレオンの心に芽生える孤独で幼いマチルダに対する切ないほどの心情.戦いの場面はそれを際立たせるためのしかけとでもいったらよいか,とても上質な演出であると思う.私の心を震わせた映画はたくさんあるが,戦いの場面を含む映画は,おそらくこの3つだけだと思う(といいながら他にもあるかもしれない).

 

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ABE

私のツイートを見たことのある人なら分かると思うが,戦う映画は嫌いだと言いながら,私はときどき非常に攻撃的なツイートをする.攻撃する対象は,安倍晋三前首相と菅義偉現首相が大半,あとは政権中枢にいる政治家たちだ.最近は,自民党総裁選に出た河野太郎高市早苗をも批判している.もちろん彼らが人間として,政治家として,あるいは権力者として誤っている,または不誠実だと思い,そのような人間に日本のトップに立ってほしくないと思っているからである.が,それだけではない.組織のトップに立つ者,国の首相あるいは首相になろうとする者は,批判されて当たり前であり,批判されることが1つの大切な仕事でもあると思うからだ.誰もが認める高い地位にあり,その意思決定が我々の生活や人生を直接に左右するのであれば,単なる批判だけでなく,バカ,アホ,卑怯者程度の『侮辱』も場合によっては許容されるべきと思うのだ.彼らが我々の人生を握っているのだから.もちろん,俳優,歌手,テレビタレント,スポーツ選手等の有名人,およびその家族や婚約者など,我々の人生や生活に直接の影響を及ぼさない有名人に対して侮辱することが,決して許されないのは当然である.

 

ABE

今,法制化が議論されている侮辱罪に関していえば,政治家および政治に助言を与えている政府委員会の学者たちに対する『侮辱』については,刑事罰の適用除外にすべきと思う.そうでなければ,ただでさえ自民党政府に恫喝されてビビり,報道すべきことまで自制して隠すマスコミが完全に沈黙してしまう可能性が大きい(例えば,伊藤詩織さん事件など).そうすると民主政治への期待が潰された香港のように,ネットで政府や首相を批判・侮辱しただけで市民が逮捕されるという言論弾圧がこの国にも起こりかねない.

 

家人に言わせると,私は夢の中でよく戦っているという.深夜,寝ているときに突然,「このやろう」とか「ふざけるな」と怒り声をあげるのだそうだ.年に一回程度は,叫びながら自分の声で目が覚めることもある.そんなときは見ていた夢の内容をはっきり覚えているのだが,何らかのかたちで自分が追い詰められているのだ.自分が追い詰められて行き場を失い,ささやかな自らの権利を主張してもせせ笑われ,絶体絶命の場で窮鼠猫を噛むのように,逆襲に出ている.だから悪夢なのだ.家族の言うことを信じるなら,私はかなり頻繁に悪夢を見ていることになる.

 

それはたぶん,少年時代の経験の後遺症なのだ.少年時代にいじめられた心の傷.すでに50年以上が過ぎていて今さら心の傷でもあるまい,と自分には言い聞かせたいのだが,こればかりはどうにもならない.クラス中の生徒全員が敵に見え,先生までもが私が悪いと責めたてた一年間の記憶は,何度も思い出され,記憶が強化され,今に至る.さすがに今は,ほとんど何の支障もなく日常生活を送っているのだが,それでも時々折りに触れて思い出し,死んでしまいたくなることもあるのだ.

 

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Lovers

映画の話に戻ろう.映画好きだったはずの私だが,映画紹介を見ても,見たいと思う映画はだいぶ減った.戦いが主要テーマである映画が増えたことも1つの理由だが,映画の作り方が昔とだいぶ違ってしまったようなのだ.日常生活と自然な行為を通して観客に状況を理解させ,言葉に頼らず想いを伝えるのが映画におけるドラマであったと思うのだが,いつの間にかセリフ過剰,説明過剰な映画が増えた気がする.外国映画では日本語への吹き替えが一般化し,スクリーンの中で外国人がなぜか日本語を喋っている.特に昨今の日本映画は,テレビドラマに乗っ取られたかのように,登場人物たちが一つ一つの出来事や一人ひとりの想いを過剰なセリフでストレートに説明する.私は,淡々と出来事を連ねて状況を描写する映画,例えば無口な登場人物が一人落胆して街をさまよい,気になる人に会ってほっと頬を緩める,その間,一切のセリフがないような映画が好きなのだ.孤独や悲しさや理不尽や幸せを,人々の生活や心の動きを,淡々と描写していくような映画が好きなのだ.

 

Denis Ho

だから最近は,シネマコンプレックスのような大映画館に行くことはほとんどない.ときどき映画を見にいくときは,単館で公開される外国の映画を選んで見ている.