霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

メリトクラシー

この2ヶ月ほど,ずっとブログはご無沙汰だった.定年の少し前からこのブログを始め,定年後は持て余した暇を潰すために書くというのが実情であったのだが,10月以降,週2回のボランティアと週1ペースの市民講座的なものに通い始めたためか,少しご無沙汰になった.とはいってもそれぞれの所要時間は2,3時間程度だから,それだけで,一ヶ月以上書かなかった説明にはならない.自分のことながら,おそらくは,たぶん,新聞やワイドショーで騒がれている時事的なコトに,かなりうんざりするようになってしまった点も大きいだろう.一つ一つの事柄は大事なコトであるのかもしれないが,いつもいつもその問題の根は同じであるような気がするのだ.つまりは権力の貪欲さと無能さ,大人の事情,勘違いの正義感,等々が原因である話題ばかりのような気がしてきて,まあどうでもいいか..と感じてしまうのだ.

 

今でも,何かを読んでいたり,見ていたり,朝方の寝覚め前,半覚醒状態のときにいろいろな想いが頭に浮かぶのだが,「仕事じゃないんだし,どうでもいいか」という感覚が根っこにあるためか,しばらくすると忘れてしまうのだ.跡形もなく.単に,老化しただけなのかもしれないが..

 

living

今回なんとか忘れなかった話題は,2021年12月3日の朝日新聞の「(耕論)生きるための能力?」.いつものように3人の論者にこれからの時代を生きるための能力について,記者が聞き書きしている.新聞では上段が廣津留すみれ,下段は鳥羽和久と会田弘継の二人である.

https://www.asahi.com/articles/DA3S15131138.html?iref=pc_rensai_long_chumoku_3

 

Sumire

上段の論者はいつもそうなのだが,廣津留すみれは,どこかで何度も聞いたような話,最近社会で主流となっている考えを述べる.世界で活躍するためには学力だけではなく,「人としての力」が必要だ.勉強以外の何か別のこと − 廣津留すみれの場合はバイオリン − に『努力して取り組んだ経験』と,それを『ポジティブな態度』で『熱意を持ってプレゼン』する能力,そしてそれによって『想像力』,『コミュニケーション能力』,『人柄』などが分かると.

 

はあ...そうですか.ご立派です.昨今,就職活動を始めた学生たちが,就職情報誌等で耳タコになるほど聞かされている内容もこんなだったと思う.米国の一流大学に入学して,GAFAMに就職し,若いエリートになるためにはきっとそれが必要なんでしょう.でもそれって,半分以上,生まれたときに決まってしまう能力だよね.好きな言葉じゃないけれど『親ガチャ』で当たった人だけが持てる能力.そういえば,親ガチャで当たった人たちの多くは,自分が運がよかったということを理解できてないらしいね.ハーバード白熱教室マイケル・サンデルや,上野千鶴子がそんなことを言ってたな.

https://www.amazon.co.jp/dp/B0922GS8SL/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

Toba

鳥羽和久は,非認知能力 − 協調性,粘り強さ,創造性,コミュニケーション能力といった点数で測れない能力 − を子供たちの評価に組み込むのは危険だという.『本来複雑な人間を単純化して捉えることに直結』し,『真の意味で多様性を認める社会とは相いれない』からである.だから,鳥羽の塾では学業の成績を伸ばすことを重視する.そして主張する.『人間性に関わる事柄を,非認知能力という言葉にかこつけて伸ばす気はありません』,『この流れの先にあるのは,社会にとって都合の良い便利な存在だけが認められる,人間性が剥奪された社会ではないでしょうか』と.

 

shomin

ぼくは,鳥羽の考え方に全面的に賛成する.第二次大戦前,日本では義務教育(小学校6年と高等小学校2年)しか受けていない両親の子供が大学に進学するなどほとんど考えられなかった.戦後10年か20年でそれが可能な社会になったのは,もちろん日本が豊かになったことと大学の数が大幅に増えたこともあるが,日本の大学入試が,基本的に高校の授業科目に関する学力だけを見ていたことが大きい.貧しさは学力にも不利に働くが,それでも公立高校に通うだけの経済力があれば,本人の努力によって学力を上げることができる.勉強以外の何か別のことで人並み外れた成果を出したり国際的成果を上げるには,それがスポーツであろうと音楽であろうと,本人の努力を超えた親の経済力を必要とする場合がほとんどである.協調性,創造性,コミュニケーション能力,プレゼン能力といったものも,やはり経済力に裏付けられた家庭環境が大きく影響すると考えるのが妥当だろう.

 

Aida

会田弘継は,『成功こそ善であり,徳である』という米国社会の考え方と,それに起因する「メリトクラシー(meritocracy)」の問題点を指摘する.メリトクラシーは日本語だと能力主義実力主義と翻訳される.しかし,エリートたちが努力によって獲得したと思い込んでいる「能力」や「実力」は,特に非認知能力は,実は経済力のある家庭環境で育まれ,学費の高い私立学校や塾で鍛えられ,そうした運の良い者たちだけが入れる大学で大きく増幅される場合が多いのである.会田は『このまま能力主義を続けることは,さらに格差を拡大させ,非エリート層のうらみをかうだけ』という.オバマの「イエス,ウィーキャン」は『はいあがれない国民も多い現実を無視した能力主義的な言葉であり,今となっては無責任と言わざるをえません』とも言う.今やメリトクラシーの弊害は米国だけでなくグローバルに広がり,日本でもすでに蔓延しつつある.

 

能力主義は,世界における分断の主要原因の一つである.それは階層を生み,階層を固定し,階層の差を広げ,互いの理解を妨げ,妬みと憎しみと軽蔑を生み,社会を徹底的に分断する.

 

Sumire2

廣津留すみれさん,あなたは音楽も,学問も,ビジネスも,何でも一流にこなす超エリート才女だもの.ここに書いたようなこと,言われなくてもわかるよね.もしいつか時間に余裕ができたら,あなたのような能力を持てなかった気の毒な庶民たちのことを少し考えてみてください.