霞喰人の白日夢

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プーチンは悪魔か? 悪魔に妥協は禁物か?

Ukraine

2月24日,ついにロシア軍がウクライナに侵攻した.それまでロシアの侵攻に対して半信半疑だった人々も含め,メディア,評論家,国際政治学者たちは一斉にプーチン批判を強めた.『ウクライナNATO加盟はロシアにとってレッドライン』『プーチンは何度もNATOの拡大に警告を出していた』と欧米のやりすぎを指摘するリアリストもいるにはいたが,『ロシアの利益から考えても合理的判断とは言えない.プーチンの心の中は見えない』と歴史を見ずに語る合理万能主義者や,プーチンの言動と怒りの分析もせずに『かつてのソ連/大ロシアの復活を夢見る時代錯誤の独裁者』としたり顔で断定する者ばかりになった.プーチンを悪魔の独裁者としてステレオタイプ化し,ただ許せないと批判しても解決には結びつかないが,それしかしないメディアがとても多い.

 

プーチンは悪魔か?

 

Putin

民主主義国であるウクライナで暮らしていた一般市民にとって,突然戦争をしかけてきたプーチンはもちろん悪魔だろう.ロシアに家族や親戚がいるウクライナ国民が数多くいる一方で,ウクライナ国民の多数派はロシアと敵対する西側の一員となることを望んだ.民主的選挙で選ばれた大統領がその政策を実現しようとしていた.それは,民主主義を当たり前のように享受する西側の人間にしてみれば全く問題ないどころか,まさに"正しい"行為だ.しかし,悪魔のプーチンは戦争によって民主的に選ばれた政権を倒そうとしている.

 

だが,正義が常に勝つほど世界は単純でない.清く正しく生きれば常に物事が先に進むわけではなく,努力すれば必ず成功するわけでもない.正しさの基準が異なる人々と同じ世界で,時には敵対しながら,我々は生きざるをえない.正しさの基準が異なるどころか,そもそも正しさに価値を見いださない人も,多くはないがいる.これこそが,きれい事では済まない真の多様性なのだ。"正しく","誠実に","努力"しても物事がうまく進まなかったとき,成功を妨げた人をただ非難するだけでは - そうしたくなる気持ちは分かるが - 人生を切り開くことはできない.人生に不条理は満ち満ちている.

 

そんな不条理な世界を生き抜く術のひとつが妥協だ.例えば,人通りのない夜道でチンピラにカツアゲ(古い!)されたとしよう.「金を出せ!」 もちろん金など出す義務はない.だが,深夜,金を出せと凄む危険なチンピラに「金など出す義務はない」と正面から抵抗することは,武術に長けた人間でない限り,賢い選択とはいえない.

 

さらにもう一つ,物語を付け加えよう.カツアゲをするそのチンピラはあなたの顔見知りだったとする.それもずいぶん昔,あなたが彼にとって大切な約束を破り,それが原因で彼がビジネスで大損をしていたのだったらどうだろう.たとえあなたが彼に借金している訳ではないとしても,人として彼に大きな『借り』があったことになる.その時「金など出す義務はない」と突っぱねることは,法的には正しくとも,人の道として正しいことだろうか.

 

Shock

適切な例だったとは自分でも思えぬが,全く的外れではないだろう.ソビエト連邦ソ連)の解体時,大国ソ連は乱暴な米国資本にボロボロにされた(ナオミ・クライン著:ショック・ドクトリン - 惨事便乗型資本主義の正体を暴く,第四部参照).その上,西側軍事同盟であるNATOは当時の約束(密約?)を破って東ヨーロッパに拡大し,かつてのソ連の同盟国を片端から取り込んだ(2000年代半ば以降,プーチンはこの約束違反に何度も言及し怒りを表明している).そしてウクライナだ.ウクライナはかつての同盟国ではない.まさにソ連そのものであった国なのだ.プーチンにしてみれば,NATOは約束を破っただけでなく,かつてソ連そのものであったウクライナにまで進出しロシアの平和と安全を脅かしている,と言いたいところだろう.ロシアとウクライナは歴史的・文化的に一体だったとのプーチンの主張が妥当かどうかはそれほど重要でない。プーチンがそう固く信じていることに西側の指導者たちは注意を払わねばならなかった。

 

NATO

報道によれば,プーチンは昨年『ウクライナNATOに加盟することは,そこに核兵器を配備することと同様』との主旨を含む論文を書いたという.それが妥当な認識かどうかはともかく,NATO加盟国に米国の核兵器を持ち込むことが理論的にあり得るとすれば,プーチンウクライナNATO加盟に大いなる脅威を感じることも想定しなければならない.プーチンの頭にあるのは1962年のキューバ危機だろう.ソ連キューバ核兵器を持ち込もうとして米国が激怒し,核戦争直前にまで至った事件だ.そのときはソ連が妥協してキューバへの核兵器配備を諦めた.プーチンにしてみれば,今度は米国が妥協し,ウクライナNATO加盟を諦めさせるべきと考えるだろう.

 

このように考えてみれば(多少違っていたとしても),悪魔のプーチンにもプーチンなりの論理があることがわかる.それを無視してはいけない.先のチンピラの例でいえば,かつて約束を破ったことを(すでに一度詫びていたとしても,もう一度)詫び,ビジネスの失敗によって彼が経済的苦境に陥ったのだったら多少の援助をすべきだろう.それに準じて今回の件を考えてみれば,米国バイデンは,プーチンに対して強行一辺倒の対応をするのではなく,妥協の道を探るべきだったと私は思う.例えば,ウクライナNATOに入れないという妥協を選べば,悲惨な戦争は起きなかったはずだ.過去には,米国政府内部にも,ロシアを孤立化させる懸念からNATO拡大に反対する勢力もあった.そしてプーチンが米国との交渉で一番重視していたのはそのことなのだから.

 

Zelensky

大統領の最も大切な仕事が『より多くの国民の命を守ること』であるとすれば,ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領にも妥協は必要だった.ロシアに対して徹底抗戦すると宣言し,18歳から60歳までの男子を予備役として招集し,国民総動員でロシアと戦えば,西側諸国からは称賛の拍手を得るだろう.彼の評価も高まるだろう.だが,それは国民の命を守ることにつながらない.『民間人は火炎瓶を作ってロシア軍と戦え』と国民を鼓舞することは,婦女子に竹槍で米兵と戦えと命令した日本軍を思い起こさせる.国の独立と主権を守ることは重要ではあるが,何万,何十万,場合によっては何百万の国民の命を死に追いやってまで守るべきものであるとは,私は思わない.NATOには入らない,西側の一員にはならない,中立を守るとさえロシアに約束すれば,国民を一人も殺さずに済んだのだ.何万,何十万という命を無駄にせず済むはずなのだ.そんなふうにロシアと妥協して生きてきた国だってある.フィンランドだ.ウクライナと状況が全く同じというわけではないだろうが,政治的にフィンランドのように生きることを目指すのも可能だ.それこそ,不運にも悪魔の国の隣となった弱小国のリーダーが目指すべきことだろう.それは,将来の日本の生き方にもなり得るだろう.

 

プーチンは悪魔だ.だが,悪魔との妥協が必要なこともある.