霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

後手後手が続く社会

内田樹の研究室」を長い間フォローしているのだが,最近の記事に「後手に回る政治」というものがあった.

http://blog.tatsuru.com/2021/04/03_0740.html

uchida.jpg

この記事の中で,内田は『私たちは子どもの頃から「後手に回る」訓練をずっとされ続けている』という.『「教師の出した問いに正解する」という学校教育の基本スキームそのものが実は「後手に回る」ことを制度的に子どもたちに強いている』からである.

なるほどと思った.私達は学校で課題を与えられてそれを解く.解くべき課題を考えるのではなく,起きうる課題を予測するのでもない.課題がすでにそこにあり,学生や生徒はそれを解くことを求められる.それが「後手」である.文科省がかつて導入した「ゆとり教育」も,これから導入しようとしている「探求学習」も,指導要領が存在し高成績を取る条件が事前に決められているのであれば,私達は与えられた課題を正しいと決められた方法で,正しく回答することが求められる.その求めに応じて正しく回答する者たちが,後手に回って正しく処理する者たちが『優秀』と判定されるのである.

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64738

tu.jpg

学校で常に『優秀』だった人間が社会に出た後のことを考えてみよう.例えば,東大などの一流大学を出た者たちである. 彼らは課題が与えられると優れた知能を発揮してそれを解く.あらゆる課題には導くべき答えという「目標」があり,導く際の「制約条件」がある.明示的あるいは非明示的な制約条件の下で,与えられた目標を達成する方法を素早く,正確に見つけて解く.滞りなくそれらを実行できるから彼らは優秀だという称賛をうける.

nishimura.jpg

問題は,社会において起こりうる課題を自ら予測し,その課題発生を回避する方法を考えて提案する教育,つまり先手を取る教育をうけていないことだ.それは,政治家や,行政を担当する官僚や,企業経営者達にとって最も重要な能力のはずだが,彼らはその能力を磨く教育・訓練を受けていない.それどころか官庁や大企業などの古い社会では,若い頃から権力者や上司の意向を汲み,忖度し,上司の意向どおりに仕事をする能力を磨く.上司が命じる方針や方法の問題点を見出し,起こりうるトラブルを予測し,それを回避する方法を考案・実行すること,先手を取る訓練を社会でもしていない.それをすると,分不相応なでしゃばりとしか認識されないのだ.だから,事前に予測し避けることが可能なはずのトラブルを避けずに,トラブルが表面化してからその(解決法ではなく)対処法を考える.多くの場合は,誰も否定できない言い訳を考えて組織の責任を回避することが対処法だ.そうして後手に回ってうまく処理する者が『優秀』とみなされて出世するのだ.

moriyo.jpg

現代は,だれにも明確で,わかりやすい表面的な事柄だけを評価し,順番をつけ,苛烈なほどに優勝劣敗を強いる新自由主義社会/市場主義社会である.このような社会ではトラブルの事前回避は評価されない.出世にも金銭的利益にも結びつかない.事前回避策が功を奏して何もトラブルがおきなければ,その回避策の重要性は誰にも認識されず,明確な評価に結びつかないからだ.トラブル発生を予測できなかった権力者や上司たちには,何もする必要がないのに無駄な事をしたと思われてしまう.結果としてこのような社会では,自己保身のために政治家や官僚たちは先手を取って,リスクを取ってトラブルを回避するという行動をとらない.ロックダウンなどもってのほかだ.

suga.jpg

今の新型コロナ禍で上記のような状況が見られる.日本の政治と行政は過去の事例から学習することを全くせず,同じことを何度も繰り返している.後手,後手で.このままだと,ワクチンが普及するまでは第4波,第5波と同じ失敗を繰り返すだろう.運悪く変異ウィルスにワクチンが効かないとなれば,いったいどうなるのか想像もつかない.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石川セリ - 八月の濡れた砂

今日は,石川セリの「八月の濡れた砂」.石川セリが若かった頃,というかYoutubeで音楽を聞くようになるまで石川セリの歌を聞くことはあまりなかったが,10数年前から,寝られない夜などにときどき聞くようになった.前回,下田逸郎のときに,下田逸郎石川セリの「セクシィ」の動画を貼ったが,やはり一番は「8月の濡れた砂」.藤田敏八が1971年に監督したの同名の映画の主題歌だ.石川セリの気だるい,セクシーな歌声が一番あっている気がする.もちろん,「セクシィ」も「ダンスはうまく踊れない」もよいのだが.

藤田敏八は,日本の映画監督の中では最も好きな一人で,大学生時代にはぴあで上映館を探してよく見に行った.記憶に残っているのは,

 

野良猫ロック ワイルド・ジャンボ(1970年)

八月の濡れた砂(1971年)

八月はエロスの匂い(1972年)

赤い鳥逃げた?(1973年)

エロスは甘き香り(1973年)

赤ちょうちん(1974年)

妹(1974年)

バージンブルース(1974年)

もっとしなやかに もっとしたたかに(1979年)

スローなブギにしてくれ(1981年)

 

他にもいくつか見たと思うのだが,記憶があいまいだ.基本的にすべて青春映画だが,いくつかは成人映画だったと思う.藤田だけではなかったが,当時は会社がポルノ映画しかとらせてくれなかったため,映画監督たちはポルノの体裁を取りながら低予算でなかなかよい映画を作っていたのだ.ポルノとはいってもそれは当時の話で,今のインターネット上のものに比べるとずっとおとなしく,今ならポルノとは思わない人のほうが多いと思う.

 

石川セリ - 「八月の濡れた砂

石川セリ - ステージ

映画「八月の濡れた砂

 

昨今の医学・薬学研究の怪しさ/危なさ

先日,イベルメクチンの話題とともに,医学・薬学の分野で語られるエビデンス統計学的証明)というものが,それほど確実なものではないことを述べた.

https://mistydream.hatenablog.com/entry/2021/03/30/230959

実験研究をする人々にとっては当たり前の話であるはずだが,学術的にはp値が基準値以下なら証明成功(帰無仮説を棄却),そうでなければ失敗ということになるから,常に研究成果を求められる研究者たちにとっては証明できたかどうかだけが重要で,その不確実性について考える余裕はないのかもしれない.いずれにしても,確率的な証明である以上,たった一つの研究による証明は「たまたま」ということもありえるのだ.

今日は,医学・薬学研究にとってもっと深刻な話を書こうと思う.少し長くなるが,私の個人的な経験談から始めよう

私は若いときから日本の医学研究に不信感を持っているのだが,それは中学生時代の母親の経験からである.当時,彼女は「三叉神経痛」という病気で苦しんでいたが,その治療法の一つに神経ブロックというものがあった.簡単に言えば,麻酔により神経を麻痺させて痛みを抑えるのだが,母親の場合は,当時通っていた病院でも,そこから紹介されて通った東大病院でもうまくいかなかった.そして,東大病院から「日本で一番の権威がいる」と紹介されて行った関東逓信病院で施術を受けた.朝日新聞の日曜版にも時々相談者として登場する有名医師だった.

その医師が研究していた最新の方法で母親は施術を受けたのだが,その結果は大失敗.ときどき起きる三叉神経の激痛が消えるどころか,常時激しい痛みが続くというよりひどい状態になった.当時はインフォームドコンセントなどという言葉もない時代.いったいどのような状況になってしまったのかは患者にはわからない.医者からは何の説明もなく,うまくいかなかった,これ以上は何もできないと言われ,激しい痛みを抱えて元の病院に戻らざるを得なかった.

問題はそれからだ.しばらくしてその「日本で一番の権威」が,母親が受けた施術に関する学会発表をしたと若い医者が教えてくれた.すべて成功し失敗例はゼロという研究発表だったという.若い医者はそれ以上は語らず,私には痛みを緩和する薬を出す以外何もできないと言った.それからは他の病院を転々としたが,どこの病院のどの医者も「どうしました?」と聞いた後に「権威」の名前を出して説明すると黙り込んだ.私には治療できませんというだけではない.もうここには来ないでくれという医者もいた.

個人的経験談がだいぶ長くなってしまったが,これを最初に書いたのは,これから以下に書く内容と本質的に同じ疑い −− 医学・薬学関係者の中には人の命や人生を左右するという使命感も倫理観も持たない人が多いのではないか −− を持たざるを得ない話だと思うからだ.よりシンプルに言えば,医学・薬学研究には嘘が多いのではないかということ.「嘘」という言葉がきつすぎるのなら「まやかし」といってもよい.最大限に控えめに言っても不誠実な研究が多いということだ.

きっかけは,次の翻訳記事だった.

 

翻訳記事:医学雑誌は製薬企業のマーケティング部門の延長である

 http://cont.o.oo7.jp/fukushima/32_23p643-8.pdf

オリジナル英語記事

https://www.researchgate.net/publication/7826261_Medical_Journals_Are_an_Extension_of_the_Marketing_Arm_of_Pharmaceutical_Companies

関連する記事もあったので挙げておく.

日常臨床における利益相反~製薬会社との適切な関係構築に向けて~

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/99/12/99_3112/_pdf

オリジナル記事の著者は,有名な医学誌BMJBritish Medical Journal )の元編集者で,BMJ出版グループの最高責任者でもあった人物である.まずは,最初の翻訳記事から重要な部分を引用しよう.

 

・2004 年3 月のこと,「医学雑誌は製薬産業の情報ロンダリング事業に堕してしまった.」とランセット(Lancet)の編集者・Richard Horton は記した.この同じ年のこと,ニューイングランド医学雑誌(New England Journal of Medicine:NEJM)の前編集者・Marcia Angell は,製薬産業が「何よりも先ずマーケッティング・マシン」になってしまい「邪魔をするかもしれない組織を皆吸収してしまった」ことを非難した.

・製薬産業の力と影響力に強い不快感を抱いている編集者は彼女やH o r t o n だけではない.もう一人のNEJMの前編集者・Jerry Kassirer は,製薬産業は多くの医師の道徳的なコンパスを狂わせていると主張し,PLoS Medicine 誌の編集者たちは,自分たちは「医学雑誌と製薬産業の間の,相互依存の輪の一部」には決してならないと宣言した.

臨床試験が製薬企業の製品にとって不利な結果にはほとんどならないということである.1994年のこと,Paula Rochonらは製薬企業が資金を提供して実施された非ステロイド性抗炎症薬に関する臨床試験を見つけられる限り全て検討した.56件の臨床試験が見つかったが,臨床試験のスポンサーとなった製薬企業に不利な結果を示したものは一つもなかった.

・2003年には,製薬産業が資金を提供した研究の結果と製薬産業以外から資金を得て行われた研究の結果とを比較した研究30件を用いて,システマティック・レビューをすることが可能となった.16 件は臨床試験やメタ分析を検討したものであり,13件では製薬企業が資金を提供した研究ではスポンサー企業に都合の良い結果が出やすいという結論であった.全体として,製薬企業が資金を提供した研究では,製薬企業以外から資金を得て行われた研究よりも,4 倍も製薬企業に有利な結果が出ていることが分かった.経済評価を行った5 件の研究全てが,製薬企業が資金を提供した研究ではスポンサー企業に有利な結果であった.

・製薬企業が思いのままの結果を得るためには,「正しい」問いを作れば良いのであり,その方法はたくさんある.製薬企業が有利な結果を得られる方法をいくつか表に示したが,有利な結果を得る可能性を大きく増やすには様々な方法があり,新しい方法を考え出して,同僚審査を出し抜くために雇われている者がたくさんいる.

・編集者たちは彼らの医学雑誌の予算やオーナーの利益に次第に責任を持つようになってきている.学会を含む多くのオーナーが,医学雑誌からの利益に依存している.こうして一人の編集者は,ぞっとするような厳しい利益相反に直面させられるかもしれない.すなわち,10万ドルの利益をもたらす臨床試験の論文を出版するか,編集者を1 名解雇して年度予算の帳尻を合わせるかという利益相反である.

 

要は,製薬会社が莫大な利益を上げるために臨床試験結果を自在にコントロールし,臨床試験論文を著名な医学雑誌に掲載し,多量の別刷り(コピー)を広告としてばらまき,私企業である医学雑誌側はその別刷り代で利益を上げているということだ.

ランセット(Lancet)やニューイングランド医学雑誌(New England Journal of Medicine:NEJM)とは,医学・薬学が専門ではない私でもその名を知っているほどの著名雑誌だ.一般の医者であれば,これらに論文が掲載されて効果が「証明」された薬,といえばイチコロであろう.そうした雑誌の編集長や編集者たちが,製薬会社は臨床試験結果を自在にコントロールできるといっているのだ.その方法の一部が以下の表である.

f:id:gloomydeaf:20210401232121p:plain

驚きである.金と人手が潤沢にある製薬会社だからできることであろうが,はっきりいってデタラメである.私はコンピュータ・サイエンスの理論系研究者であったこともあり実験研究の経験は少ないが,この表にあるようなことはほとんど研究不正といってよい.博士課程の学生がこのようなことをしたら,厳しく叱責し,学位取得を諦めさせるだろう.

一流医学雑誌の編集者たちが告発したように,医学・薬学の世界でこのような研究や論文がまかり通っているのであれば,我々は何を信じればよいのであろうか.イベルメクチンの例でいえば,北里大学・花木秀明教授が指摘するような数々の疑問点がある論文が著名雑誌JAMA(Journal of the Americal Medical Association)に掲載されたのはなぜか.そこに,上記のような(私から見れば)論文不正はなかったのか.

https://kitasato-infection-control.info/swfu/d/ivermectin_20210322.pdf

そして,製薬会社メルクが臨床試験もしようとせず,安価なイベルメクチンの効果を否定するのはなぜか.臨床研究中の新薬「モルヌピラビル」をまもなく高値で販売できると踏んでいるからなのか.

https://www.afpbb.com/articles/-/3335353

 

研究には,良心と自制心と誠実さが必要だ.それがない研究は信用できない.

 

 

イベルメクチンと統計的科学証明

3月21日,2度めの緊急事態宣言が解除されたが,それをあざ笑うかのように新型コロナの感染者数は再び増え始めた.首都圏に緊急事態宣言が発出されたのは1月8日であったが,第3波の東京の感染者数ピークが1月4日(1524人/日)であったことを考えると,緊急事態宣言の発出も解除も,残念ながら政治判断はワンテンポもツーテンポも遅れていると言うしかないだろう.

https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/cards/positive-number-by-developed-date/

「福島復興」をシンボルとして掲げた五輪はいつの間にか「人類が新型コロナに打ち勝った証」としての五輪にすり替わったが,ワクチン供給が予定より大幅に遅れることは必至だから,五輪までにコロナに打ち勝つ可能性は限りなく低い.下手をすれば五輪は第4波のピークに,うまくいっても第4波と第5波の谷間に行われることになろう.土壇場で中止になることがなければの話だが.

ohmura.jpg

いつまでたっても先が見えない状況のなかで,2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智が発見したイベルメクチンが特効薬になるのでは,との報道が雑誌やネットを賑わせている.もともとは抗寄生虫薬で,中南米やアフリカで深刻なオンコセルカ症やアフリカのフィラリア症の撲滅あるいはほぼ撲滅に貢献したことで,大村はノーベル賞を受賞した.それがここに来て,新型コロナの治療に効くというのだ.

https://www.kitasato-u.ac.jp/nobelprize/research_result.html

hanaki.jpg

現在北里大学で治験を進めているそうだが,花木秀明教授によれば,世界27カ国で86件の観察研究や臨床研究が行われ,効果が確認されている.一部(17件)は,いわゆるRCT(Randomized Controlled Trial,ランダム化比較試験)も行われ,それらを対象にしたメタ分析でも効果が確認されている.

http://jja-contents.wdc-jp.com/pdf/JJA74/74-1-open/74-1_1-43.pdf

https://www.kitasato.ac.jp/jp/news/20201217-01.html

 (このページの下部.リンク先資料を参照)

一方で,当の製薬会社であるメルクは効果が確認されていないとし,また有名な医学誌JAMAにも効果が確認されなかったとの論文が発表された.

https://www.carenet.com/news/journal/carenet/51889

そしてこのJAMA論文をきっかけに,イベルメクチンに効果なし,科学的根拠なし,根拠のない話に乗るのは非常に危険と主張する記事が,一気にネット上に現れ始めた.

https://toyokeizai.net/articles/-/416242

https://www.m3.com/open/thesis/article/23844/

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t344/202103/569606.html

ivm.jpg

ここまでの状況を大胆に整理すると,科学的に厳密とはいえないが,観察研究や臨床研究などの経験に基づく多くの研究では良い効果が確認されているが,権威ある雑誌に掲載されたランダム化比較試験による研究結果では効果が確認されていない.結局のところ,イベルメクチン肯定派は多数の経験的研究を重視し,否定派は1つの(あるいは数少ない)統計学的に正しい手続きに従った研究を重視していることになる.ただし,統計学的に正しい研究とはいっても,花木教授らは研究方法に疑問点(おかしな点)があると指摘している.

 

ここまででやっと状況説明が終わったのだが,今日書こうと思っている内容は,研究方法の疑問点ではなく【統計学的に正しい手続きに従った研究が100%正しくて,そうではない経験的な研究が誤り】とする考え方は誤りだ,ということである.統計学的研究と言ってもすべて同じわけではないが,典型的な方法を簡単に説明しよう.

統計学的にある薬に効果があるかないかを調べるためには,まず,その薬と比較対象(例えばプラセボとか他の薬)の効果は同じという仮説を立てる(帰無仮説と呼ぶ).そして,被験者を無作為に(ランダムに)2つのグループに分け,一方にその薬を,他方に比較対象を投与する.被験者達にどちらが投与されたかを教えてはいけない.次に,あらかじめ決めておいた効果を確認する指標(血圧とか治癒率とか死亡率など)を調べ,2つのグループ間の差を表す統計量と呼ばれる数値を計算する.その上で,帰無仮説が正しいと仮定したとき,つまり調べたい薬と比較対象の効果が同じと仮定したときに,両者の差を表す統計量が今回得た数値以上になる確率を計算する.その確率をp値と呼ぶ.そのp値が,例えば0.05以下なら(0.01を使うときもある)帰無仮説は誤りとする.つまり,効果は同じとする仮説が間違えているからそんな確率の小さい/ありえない事象が起きるのだと考える.帰無仮説が誤りということは,その薬の効果は比較対象(プラセボ)と同じでないことを意味する.薬の効果があることを意味する.そんな論理で統計的な検定をするのだ.

この方法の問題の1つは,もしp値が0.06だったら,科学の世界では帰無仮説が誤っていると言ってはいけないということだ.つまり,効果があると言ってはいけない.言ったら不正になる.これは科学の世界の厳密なルールなのだ.

しかし考えてみよう.p値が0.05以下なら効果があって,0.05を超えたら効果がないって,単なる決め事でしかない.p=0.04で科学的に効果が証明されても,その証明は絶対ではない.効果がない可能性は4%ぐらいある.p=0.06で科学的に証明できなくても,効果のある可能性は94%ぐらいある.統計学的に厳密な科学的証明とは,このような程度の便宜的決め事でしかないのだ.

もうひとつ重要なのは,科学的な証明は非常に【保守的】ということ.そしていつも遅い.簡単には効果を認めないからだ.効果だけではない.薬害や公害にだって保守的な結論を出す.簡単には薬害だ,公害だとは認めない.だから,科学者が科学的に証明できたというときには,多くの現場の実務家たちはあたりまえじゃん,遅いよ,前からわかってるよって内心では思う.

イベルメクチンもそうなのではないか.私はそう思っている.また,今のようなコロナ禍の状況で,金科玉条のように統計学的証明=エビデンスにしがみつく科学者はどうかしている,と私は思う.かつての様々な薬害や公害をなかなか認めなかった科学者たちのように.

 

デジタル教科書

2024年から,小中学校にデジタル教科書の本格導入を検討するという.

https://www.asahi.com/articles/DA3S14836823.html

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG174PT0X10C21A3000000/

a1.jpg

ふーんと思うと同時に,日本の公立小中学校で本格導入などできるのかなと思ってしまう.普段からPCで仕事をし,スマホで情報収集している立場からすれば,勉強効率や便利さ,重いランドセル問題の解決などメリットは山ほど考えられる.だが小中学生が毎日使うものとして考えると課題も多い.でも,朝日の記事に書かれている貧富の差による教育格差拡大や脳の発達への悪影響について心配は,イマイチピントがずれているように思う.

デジタル機材と教科書データについては紙の教科書と同様に無料配布すべきだろうし,それができないなら導入すべきではない.貧富の差が影響しないように教育を設計することは当たり前のことだ.脳の発達に悪影響って,それはゲームアプリの話であって,まともな教科書を作れば悪影響などあるはずがない.少なくとも今の教科書をそのままデジタル化するのであればそんな問題はない.せっかくのデジタル教科書なんだからマルチメディアにしなけりゃとか,ゲーミフィケーションだ(ゲーム的要素をいれなきゃ)などとIT小僧のようなことを考えなければいいのだ.そんなものを導入したら,子どもたちの文章を読んで理解する能力が今以上に落ちるのは目に見えている.物ごとを言葉で伝えられないIT小僧を量産するだけだ.

知性の大切な要素の一つは文章を読んで理解する能力.そして文書を書いて自分の考えを明確にロジカルに人に伝える能力.日本では箇条書きやグラフや表ばかりが重視されてまともな文章を書けない人も多いが,それは同質な人々の集まりである高コンテキスト文化の中でしか通用しない.多様な価値観を持つ人々が集まる低コンテキスト文化の中では文章,言葉こそが大切なのだ.箇条書きや断片的記述ばかりのパワポを禁止しているアマゾンを見習えばよい.

https://bunshun.jp/articles/-/15306

a1.jpg

デジタル教科書の本格導入で一番問題になると思うのはデジタル機材の故障だ.例えば35人の小学校のクラスがあって全員がタブレットを持ち,宿題するために家に持ち帰ってよいとしよう.1年の間に少なくみても5人,多ければ半数のタブレットは壊れるだろう.落としたり,飲み物をこぼしたり,踏んで液晶を割ったりする.大学院生ですら1年間ノートパソコンを貸し出すと高確率で壊す.小中学生ならかなりの割合で壊すはずだ.いじめ問題だってある.いじめられる子のタブレットは,盗まれたり壊されたりする可能性が相当に高い.そのようなとき,学校が代替機を無償で貸し出せないようであれば,デジタル教科書を導入すべきでない.それこそ貧富の差が教育格差を生む.

さらには,以下のツイートにもあるように充電の問題がある.

https://twitter.com/taisho__/status/1370890519182602242

学校で1日6時間,授業でタブレットを使うのなら,生徒たちは毎朝それを満充電にして学校へ持って行かなければならない.35人のクラスがあったら,毎日いったい何人の生徒が充電を忘れて来るか.普通の公立小学校でクラス全員が充電を忘れずに満充電のタブレットを持ってくる日は1年に何回あるか.そのことを考えれば,学校の机に一つずつコンセントをつけて,充電しながら授業を受けられる設備を作るべきだろう.だから学校の電気代もかかる.

つまり,代替ダブレットも教室の改修費も含めて,学校の予算を大幅に増やさなければやっていけないのは目に見えている.そうした見通しを"有識者"会議の有識者達は持っているのだろうか.そして,文科省のお役人達はそのような問題が表面化したとき,自治体に問題を丸投げせずに,自ら問題を解決するつもりはあるのだろうか.

医学的逆転 - Medical Reversal

医学的逆転という言葉を,以下のサイトで初めて知った.

https://indeep.jp/medical-reversals-when-people-killed-by-medicine/

英語ではMedical Reversalというらしく,Wikipedia にも説明がある.

https://en.wikipedia.org/wiki/Medical_reversal

protest.jpgただし,日本語の「医学的逆転」という言葉はまだ一般的でないようで,"医学的逆転" とダブルクオーテーションで囲ってググってみても7件しか見つからない.最初に挙げたサイトでは,『推奨される治療法から 180度回転して医師たちが推奨しない治療法になるときに、それは医学的逆転(Medical reversal)』と説明されているが,念の為,Wikiの定義を翻訳しておこう.

Medical reversal refers to when a newer and methodologically superior clinical trial produces results that contradict existing clinical practice and the older trials on which it is based. This leads to an intervention that was widely used falling out of favor, because new evidence either demonstrates that it is ineffective or that its harms exceed its benefits.

(医学的逆転とは,より新しく優れた臨床試験が,既存の診療や旧来の試験と矛盾する結果を生み出す場合を指す.これは、古い方法に効果がない,あるいは利益より害のほうが大きいことを示す証拠が示されて,これまで広く使われていた古い方法が支持されなくなることを示す.)

今まで一般的だった治療法よりよい方法が見つかったというのではなく,今までの方法が誤っていたということだから,医学的逆転がもし起きれば,当の患者にとってはショッキングな出来事であるのは間違いない.それでもなかなか治らなかった病気がこれで快方に向かうならよいが,患者がすでに亡くなっている場合には,手遅れであれば,その家族にとっては耐え難い思いを味わうことになる.

protest.jpg上記の記事にはかつてのロボトミー手術,赤ちゃんのうつぶせ寝が例として挙げられているが,昭和の頃に幼稚園や小学校で広く行われていた集団予防接種が原因となったB型肝炎も,それに含まれるか,それに近いものと言ってよいだろう.私の親しい友人は今も幼少期の予防接種が原因と思われるB型肝炎に苦しんでいるし,姉は大人になってから,知らぬうちにB型肝炎に感染し自然治癒していた形跡のあることを医者に指摘された.

これも記事に書かれていることだが,さらに大きなインパクトを私に与えたのは,スウェーデンの医学者,セバスチャン・ラッシュワースの言葉だ.『残念ながら、この医学的逆転は一般的なことです。』というフレーズ.私も今月で定年を迎える年齢であるから,健康診断をすればいろいろと不具合はでる.頻繁に指摘されるのはコレステロールだが,しかしコレステロールや血圧に関しては,現在の標準的基準に対してずいぶん昔から根強い批判がある.スタチン系のコレステロール治療薬を飲んで値を下げれば心筋梗塞の発生率は下がるかもしれぬが,総死亡率が逆に上がるという話はあちこちで聞き,そして読む.年齢を重ねると医者たちはがん検診を勧めるが,いくらがん検診を普及させても総死亡率は下がらないという論文は,世界の一流論文誌に繰り返し,数多く出ている.

http://kjs.nagaokaut.ac.jp/yamada/info/science.pdf

オヤジは60代で脳梗塞に倒れた.高コレステロールが原因だとの医者の見立てにより血液をサラサラにする薬(スタチン.コレステロールを下げる薬で,世界で一番売れて薬剤会社がボロ儲けした象徴的な薬)を飲んで,魚卵やステーキや貝やイカ,脂の乗った美味しいものはすべてコレステロールが高いと禁止され,美味しいものを我慢して,スタチンを飲み続けた.そして,ガンになり死んだ.今,コレステロールの高低と食物の関係は否定され,コレステロールの高低とガン死亡率の関係は逆相関の関係にあると言われている.

protest.jpgフクシマ第一原発事故の後,福島県の子どもたちの多くがめったにかからないはずの甲状腺がんにかかった.しかし,国や福島県はそれはスクリーニング効果だ,放っておけば何の害にもならないはずの甲状腺がんを,一斉検査でむりやり発見しただけだという.だからこれ以上の検査をする必要はないという.えっ!? それは本当!? 

もしそれが正しいなら,ほかのがんでも検診は意味がないってことじゃないの? 放っておいてもよいがんを無理やり発見しているだけじゃないの? 前立腺がんは90%ぐらい,治療する必要はないがんだっていう論文が医学研究者の間では認められているよね.イギリスのNHSは,何年か前にマンモグラフィーで見つかる乳がんの数十パーセントは治療をする必要がないがんだって発表している.スイスかオーストリアか忘れたけど,マンモ検査で見つけるガンの多くは治療する必要がないってマンモ検査を推奨していない.

Overdiagnosis,過剰診断という.がんの研究者なら皆知っているはずだが,不勉強な町医者には過剰治療(Over treatment)と区別がついていないものもいる.がんには治療をする必要のない,放っておけばよいものが,かなりあることが世界中の研究によって明らかになっているのに,現代の医療では治療すべきかどうかの区別がつかない.だからほとんどの医者はがんを見つけたらすべて治療しようとする.外科手術とか,抗がん剤とか.それが過剰診断だ. そして,その結果,不必要な手術をし,不必要な抗がん剤を飲み,場合によっては不必要な治療が原因であっという間に死んでしまう.私の親父もそうだった.

この理不尽な現実を覆すような「医学的逆転」がいつ起こるか.私はそれをずっと待っている.オヤジが命をもって教えてくれたのだから.

セクシィ − 下田逸郎

今日は下田逸郎の曲の中からセクシィ.下田逸郎を知ったのは高校生のとき.ラジオの深夜放送でパーソナリティ(この言葉,今でも使うのだろうか..)をしていたのだが,当時は話しぶりから海外でヒッピーのような生活をして,日本に帰ってから歌手をしているのだろうと思っていた.

と,ここでWikipediaを見てみるとちゃんと経歴が書いてある.30代から40代にかけて海外放浪生活をしてたようだけれど,その前からちゃんと音楽活動をしていたようだ.

曲の良さと彼の自由な生き方に憧れはあったのだが,若い頃は好きな歌手というにはやや抵抗があった.それはたぶん,男なのになぜ女性の歌ばかり歌うのだろうということだったと思う.歌は自分の想いを歌ってこそ,哀しみや喜びを乗せてこそ素晴らしいものになるはずなのに,異性の立場じゃそれは無理だろうと考えていたのだ.今考えてみれば自分の思い込みにこだわり過ぎていたとも思うのだが,それがきっと若いということなのだろう.

当時,ラジオで聞いて印象に残っている下田逸郎の曲(後で聞いた曲も混じっているかもしれないが)は,"古い愛の歌","すぐそこの奇跡","踊り子",そして"セクシィ".YouTubeで音楽を聞くようになってからは,"早く抱いて"と"泣くかもしれない"が好きになったが,これらは当時の曲ではないかもしれない.

下に貼った動画は下田逸郎石川セリのセクシィ.石川セリも好きなのでそのうちに.

 

下田逸郎

 

石川セリ