霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

森喜朗の発言とその顛末

2月3日の森喜朗JOC臨時評議員会での発言から10日過ぎたが事態はまだ収拾していない.発端は森喜朗個人のしょうもない(あるいは許しがたい)発言であるが,この騒動の中で様々な日本社会の嫌な側面を見てしまったようでとても後味が悪い.少し食傷気味であるが振り返ってみたい.

森喜朗の3日の発言は以下のWebページで確認することができる.

森喜朗会長の3日の“女性蔑視”発言全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2148b9c62351b9b54bff6338dbc4d8ac6cd9af8

その場にいたら,まず「いったい何を言いたいんだこいつは..」と私は思っただろう.それが率直な最初の感想だ.失笑しているかもしれない.海外メディアや一部の人々が「笑いが起きた」ことを取り上げ,そのことで参加者の男性の一部が森喜朗に同調したかのように述べていたが,それには同意できない.笑い声があったとすればそれは失笑であった可能性も高いし,失笑や冷笑が同調であるはずはなからだ.まさか失笑が日本人だけの文化ということもないと思うのだが.

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そしてたぶん,失笑後に思うのは「森喜朗はなんらかの理由で女性を理事にしたくないんだろう」である.上記Webページの発言をよく読めばわかるように,発言内容は必ずしも「女性蔑視」と断言できる程に強い差別感を出しているわけではない.だから,海外メディアだったと思うが「抗議しないのは同意と同じ」という反応には強い違和感を持つ.おそらくその記者は森喜朗発言のすべてを聞いたわけではなく,「女性蔑視発言」あるいは「女性差別発言」という報道のキーワードに反応したのだろう.

また,たとえ森喜朗の発言が明々白々な「女性蔑視」であったとしても,日本の古い組織文化内で長年生きてきた者であれば − 忖度を身に着けなければ生きていけない組織であれば − 男であろうと女であろうと簡単にはトップに抗議はできなかったろう.私がその場にいたとしても,日本の役所の古い組織の怖さと虚しさを見聞きしている身としては,その場で抗議しようなどとは決して思わないだろう.虚しい試みに終わるだけだからだ.

「女が皆話が長いわけじゃない」,「話の長い男もいる」,「優秀な女は大勢いる」に至っては,内容は正しくても反論になっていない.森はそのようなことは一切言っていないのだから.彼が言ったのは,要約すれば「女性は競争意識が強くて,一人が発言すると皆が競って発言しようとする.だから会議が長引く」である.この発言が正しいとは決して思わないが,これを「女は話が長い.だから女は能力がない」という発言であるかのように曲解し,「女性蔑視」という強い表現で報道するのも明らかな誤りである.そこには報道した人間によるバイアスが入っていると言わざるをえない.

だが,私にとって上記のこと以上に後味が悪かったのは,マスコミとネット民たちが鬼の首を取ったかのようにピントはずれな批判で騒いだこと,そしていつもなら政治家達の不祥事には口をつぐむスポンサー企業が,海外メディアの反応に恐れをなし,皆で手を繋げば怖くないでという感じで,相次いで恐る恐る批判の波に乗ったことである.束になっての批判の嵐に,私は打落水狗を見るような息苦しさを感じたのだ.適切な例えではないかもしれないが,店先の魚を盗んで追われた野良犬が水に落ち,その犬を水に沈めようと皆が寄ってたかって殴打している...権力を持つ森喜朗を野良犬に例えるのは違うという意見があるとも思うが,束になっての森叩きの中で,森喜朗は野良犬のようにすら見えたのだ.

今回の騒動は,女性蔑視という文脈ではなく,上意下達型の古い日本型組織の価値観と民主的ボトムアップ型の現代的価値観との対立として理解する方が適切に思える.古い日本型価値観を男,現代的価値観を女として見れば女性問題として理解できると思うかもしれぬが,それは問題の一面しかみてないことになるし,本質を知ることはできない.

つまりこういうことだ.森喜朗は上意下達型の古い組織内で育ち,生きてきた人間だ.だから「組織委員会のトップは俺なのだから,俺が政府やIOCと相談して意思決定をする.組織委員会はそれを認める場であって,俺が決めたことに異議や意見を言う場ではない」と思っていても不思議はない.このような古い上意下達型組織の会議では,発言はほんの短い質問だけである場合がほとんどで,しかも発言者は申し訳なさそうに聞かなければいけない.例えば,「会長の決定に異議があるわけではありませんが,ちょっと私の知識不足でわからない点がありまして一点だけお伺いしたい.」のようにだ.組織委員会に選ばれるような参加者達(ジジイ達.一部ババア達)は、皆そういうことは分かっている.だから,「私どもの組織委員会にも,女性は何人いますか,7人くらいおられますが,みんなわきまえておられます」という発言になる.そのことを分かっていないのは新参者,多くは抜擢された(ジジイ達より)若い者や,組織外で活躍してきた者である.そして最近の「女性活躍社会」では,それらは女性である場合が多い.おそらく森喜朗はそうした新参者の忖度のない発言にうんざりしていたのだ.ただ,言語能力・説明能力に乏しいから,単純に「女性は..」とやってしまったのだろう.だから,森喜朗にしてみればわきまえてない新参者の一例として女性を挙げただけであって,「女性を蔑視しているつもりがない」という言い訳はおそらく本心なのだろう.

結局,政府や役所さらには自民党のジジイたちの古い日本型組織の価値観を変えなければ,あるいはそれらを追い出さなければ何も変わらないのだ.自民党の女性議員のように,役所の審議官や局長に上り詰めた女性官僚のように,権力を持つジジイたちに従順な女兵士やジジイ殺しとしてのし上がってきた女達を何人登用したって,彼女たちはジジイと同じ穴のムジナ.何も変わらないのだ.

 

========= 2021/02/22 追記 ======

森喜朗が五輪組織委員長を退任した後,紆余曲折はあったが橋本聖子が五輪相を退任して後任を務めることになった.橋本がそれまで務めていた五輪相の椅子には自民党議員の丸川珠代がつき,小池百合子東京都知事を含めて,女性3人が東京五輪の要職を占めることになった.世界に向けて人事の絵面だけは今どきになったが,果たしてこれで問題は解決したのだろうか.主要マスコミやインターネットで森前組織委員長を"女性蔑視"と叩き,女性を抑圧する日本の"男性社会"を糾弾していた人々は万々歳と手を叩き,溜飲を下げ,これで満足したのだろうか.

橋本聖子森喜朗に育てられ,森を「政界の師」とし「父」とする政治家である.裏で森喜朗菅義偉が糸を引くには絶好の人事であったろう.

https://critic20.exblog.jp/32002848/#32002848_1

丸川珠代は2007年の参院選に出馬した悪評高い「安倍チルドレン」かつ「安倍ガールズ」の一人だ.しかも戦前の政治体制を美化する右翼タカ派達が集まる「日本会議」の会員であり,自分が所属する組織(自民党)のために国会内で薄汚い野次をよく飛ばす.

https://news.yahoo.co.jp/articles/47582c4a89f748844619554b5fbcaf06379b49ec?page=2

小池百合子についてはいまさら書くまでもなかろう.何度否定してみせてもぶり返すカイロ・アメリカン大学の学歴詐称疑惑.人気絶頂だった2017年9月,「希望の党」の結成時に合流することになっていた旧民進党の左派を「排除いたします」とテレビで宣言してみせる冷酷さ.時の権力者たち(細川護熙小沢一郎小泉純一郎)に取り入って政界をのし上がり,利用価値がなくなれば容赦なく見捨てるジジ殺しぶり.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B1%A0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90

こんなろくでもない女達が3人で仕切る東京五輪である.日本にはもっと人間的にも能力的にも素晴らしい女性がたくさんいるだろうに..こんな人事に騙される人々がいるなら呆れるばかりである.