霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

自由 -リベラルとフリーダム

昨年末からコロナ禍が一段と深刻になり,二度目の緊急事態宣言が出されてから,経済活動と感染予防の両立あるいは対立についての議論が増えてきた.経済活動を重視する人々の一部は市民の自由や権利をその根拠にしているようだが,その反対に感染予防の優先を主張する人々はいわゆるリベラル(自由主義者)に分類される人が多いように見える.また,米国の大統領選挙を思い起こすと,トランプを支持し「マスクをしない自由(フリーダム, freedom)」を求めた人々と,トランプを最悪の大統領と考えるリベラル達(自由主義者,liberals)の対立は,激しいという言葉を超えているようにさえ思えた.

このように,日本語で書くときはどちらも「自由」という言葉で対立する両者を表現せざるをえないのだが,英語で書けば libertyとfreedomである.したがって「自由と自由の対立」というよりは, libertyとfreedomの対立と言ったほうが,表現としては正しいのだろう.

Libertyとfreedomの違いをネットで検索すると,以下のような説明が見つかる.

https://www.writing-buzz.com/grammar/post-2523

https://eitopi.com/freedom-liberty-tigai

https://amegure.com/2019/02/22/freedom-liberty/

https://www.e-bunpou.net/freedom-liberty.html

両者の違いについては上記のページに書いてあるので繰り返しを避けるが,日本語の「自由」のいう言葉のイメージは,liberty より freedomにかなり近い.Libertyという意味の言葉を強調したい場合には,おそらくは「自由」をより「解放」を使うほうが適切な場合が多いのではないか.「解放」というと一般的には liberation の翻訳のほうが適切かもしれないが,liberation された結果,libertyを得ると理解すれば,解放する行為がliberation,解放された状態が liberty ということになるだろう.

https://www.magnumphotos.com/newsroom/from-liberation-to-liberty-erich-lessing/

ところで,自由主義は liberalism の翻訳語であるから,日本語でイメージする「なんでも自由」を求める思想ではない,ということは明らかだろう.「自由」の概念は,時代区分における近代(モダン)と深く結びついている.自由は近代の始まりとされるフランス革命の象徴であったし,近代における自由は,専制,独裁,身分,差別,宗教,貧困,無知等からの解放を意味しているからである(このように考えると,日本における「自由民主党」という政党の名が,その政党の中身を適切に表すどころか全く正反対である,つまり詐欺的な政党名であることに改めて気づく).

さて,コロナ禍の話に戻ろう.

経済活動の自由を求める人々の多くは,非常事態宣言のように人々の行動を制限するものは自由主義に反するという.非常事態宣言を歓迎するリベラル達も,行動の自由を制限することに遠慮しつつ,医療の崩壊と人命の大切さを説く.すると,経済自由主義者は,経済が回らなければ経済苦による自殺で人命が失われると反論する.

私は,この議論に関して次の2つのことを思う.1つは,経済活動や人々の行動の自由(freedom)を一時的に制限することは,リバティ(liberty)を制限するわけではなく,自由主義(liberalism)とは矛盾するわけではない.自由が制限されると騒ぐのは,ネオリベ(neo-liberalist)である.そして,コロナ対策と経済苦による自殺対策は,明確に分けて行うべきと思う.コロナ対策では,経済や経済苦のことを考えずに徹底的に感染拡大を防ぐ対策をするべきだろう.それによって引き起こされる経済活動の停滞および経済苦対策は,コロナ対策を妨げない方法で,別途,新しい対策を講じるべきだろう.そのために,菅内閣は早期に国会を開き,政治家たちは仕事をしなければならない.

福島第一原発での放射能汚染処理水の海洋放出について思うこと

世の中では新型コロナに関する緊急事態宣言に注目が集まっていると思うのだけれど,今日は,トップではないが朝日新聞の1面にあった記事,福島第一原発敷地内に貯められた放射能汚染処理水の海洋放出について書こうと思う.

朝日新聞が行った世論調査によれば,「汚染された水から大半の放射性物質を取り除き,国の基準値以下に薄めた処理水を海に流す」ことについて,32%が賛成,反対が55%だったという.また,8割以上の人が放出による水産物への風評被害の不安を感じるとのこと.

https://www.asahi.com/articles/ASP135S0CNDJUZPS001.html

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14751691.html?_requesturl=articles%2FDA3S14751691.html&pn=2

ところで,goo辞書によれば,風評被害とは「根拠のない噂のために受ける被害」のことだという.そうであるなら,上記の新聞記事は,処理水の放水による水産物の影響を心配したり不安だとする文章を書くことは,根拠のない噂を広げることに加担することだと暗に言っていることになる.しかし,それは本当に【根拠がないこと】なのだろうか.福島原発放射能汚染の話になると,とかくマスコミは「風評」や「風評被害」という言葉を連発する.何の落ち度もないのに地震原発事故の被害にあった福島の人々が必死になって復興を目指しているのに,それに水を指すようなことは言うな,ということなのだろう.その気持はよく分かる.誠意の見えない東電と優しさの感じられない国や自治体のことを考えればなおさらだ.でも,福島の復興が人々にとって何より大切だから,国民のコンセンサスだからといって,福島とその隣県にばらまかれた放射性物質が消えるわけではない.除染ですべての放射性物質を取り除くことが不可能なのはチェルノブイリ原発事故の経験で分かっている.雨がすべてをきれいに流してしまうわけでもない.そうであれば「本当に放射能の危険はなくなったのか」との問いを持つことは当然だし,忖度をせずに疑問を明らかにすることの重要性の点からも問いを発することは正しい.さらにいえば,危機管理の大原則である「リスク最小化」の面からも万全を期すことは正しい行為だろう.このような点から考えれば,政府やマスコミが頻繁に利用する「風評被害」という言葉は,日本国民の優しさにつけ込み,国民を事実や知性から遠ざける行為ともいえるのではないだろうか.

話を放射能汚染水を処理をした水(処理水)の話に戻そう.この処理水は,高濃度の各種放射性物質を含む汚染水をALPS(アルプス:多核種除去設備)と呼ばれる装置で処理し,トリチウム三重水素.水素の同位体原子核が陽子1つと中性子2つからなる放射性物質)以外の放射性物質を安全なレベルまで取り除いた水とされる.トリチウムだけが取り除けていないという意味で「トリチウム水」と呼ばれたりするが,実は,トリチウム以外の放射性物質も取り除けずに残っているという報道もあるのだ.

https://news.yahoo.co.jp/byline/kinoryuichi/20180827-00094631/

しかし,話を複雑にしないため,ここでは(本当は信用し難いのだが)政府や東電が言うように,トリチウム以外はすべて,安全なレベルまで取り除かれているものとしよう.今,政府が海洋放出しようとしている処理水はこのトリチウム水である.このトリチウム水を,法令基準の1/40まで海水で薄めて放出しましょうということなのだが,要は,それが本当に安全なのかどうかである.公的には,つまり,政府や原子力発電研究者たちは,トリチウムの出す放射線ベータ線)は弱い,外部被曝の心配はない,通常の原子力発電所からも日常的に海に排出されているが問題は起きてない,などの理由で安全だと説明する(問題ない,安全だ,とする情報はたくさんあるので,以下の記事を1つだけ挙げておきます).

https://www.ene100.jp/fukushima/6939

他方,トリチウムの毒性を指摘する記事も見つかる.

https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_09-02-02-20.html

http://www.com-info.org/medical.php?ima_20181211_nishio

http://eritokyo.jp/independent/aoyama-fnp0897..html

正直にいって,この分野の専門家ではない私にはどちらを信用してよいのかはわからない.「公的」とはいっても,数々の嘘(公害や薬害や経済成長やモリカケ桜など)で国民を騙してきた自民党政権原子力村の言葉を,簡単に信じるわけにはいかないのだ.そうなると,危機管理の大原則である「リスク最小化」で判断せざるをえない.それは,トリチウム水の放出は「とりあえず反対」だ.政府と原子力村が本当のことをいっているかどうかわかるまで.

最後に素人として疑問に思っていることが2つ.

 (1) 人間の体は有機化合物.水素もたくさん含まれている.肺に入る水蒸気や,胃や腸にはいる水分から体の一部分としてトリチウムが取り込まれることはほとんどないと本当に断言できるのか?(影響は少ないとされている,とかのいい加減な答えは却下.具体的な研究成果とか根拠を示してほしい)

 (2) 海水で法令基準の1/40に薄めて膨大な水量のある海に放出するって意味あるの? 例えばの話だが,1トンの汚染水があるとする.これを海水で1000倍に薄めて1000トンにして1日かけて放出するのと,薄めない1トンの汚染水を少しずつ1日かけて放出するのでは,放出するトリチウムの量は同じだろう.薄めるっていうのは,ただの気休めにしか思えない.

ぷらぷらと生きる

ブログを始めてまだ2回めなのに,タイトルを少し変えることにした.【霞食人の夢】から【霞喰人の白日夢】へ.辞書的意味は「食う」も「喰う」もほとんど変わらないらしいのだが,後者のほうが「生きる」とか「生き延びる」というイメージが強くなるような気がするので.また,「夢」だとLotus Eater を連想してしまい,少し美しいというか,自分には美しすぎるように思える.「霞を喰って生きる」なんて訳のわからないことを真面目に言い出す狂人には,「白日夢」のほうがふさわしい.

こんなふうに思ったりもするのも,過ぎ去った一年やこれから来る一年を考える年末・年始だからということなのだろうが,正直にいって,定年後の生活がどのようになるのか,自分でも皆目見当がついていないのだ.10年ぐらい前までは,定年後は息苦しい日本を出て海外のどこか,暖かくてお金がかからず,でも適度に便利なところに住みたいと思っていた.実際に,二十数年前までだったら,一般的な日本人の貯金と年金で,そんなことを夢見ることも非現実的とは言えなかったと思う.まだ,1980年代後半から90年初頭まで続いたバブル時代の残照があったのだ.だが,その後の30年近く,日本では名目GDPはほとんど伸びてなく平均給与も伸びていない.その一方で,海外先進国,途上国での給与はコンスタントに伸びているから,相対的に日本人はどんどん貧しくなり,OECD諸国の中では圧倒的に貧乏になってしまった.自分の実感としても,昔にくらべて海外の物価はずいぶん高くなったと思う.航空券代も,1990年代半ばから後半の頃は格安券なら10万円で南フランス往復ができたが,今なら20万円するだろう.

【最新2019年版】世界の平均年収

http://doredoreworld.com/2019oecdaveragesalary/

今はコロナ禍もあって海外で暮らすなどちょっと考えられないが,この状況が収まったとしても経済的にたぶん無理なのだ.長年思い描いていた夢は諦め,国内で地に足をつけて暮らすしかない.それでも,僕は,もう仕事はせずに,なんとかぷらぷらと生きていきたいのだ.

最初の,そしておそらく今年最後のブログ

霞を食って生きたい 

などというブログを開いておきながら,最初から浮き世の話をするのも格好悪いのだが,今年は,まあ大きな区切りの年だった.というより,大きな区切りの準備となる年だった.25年間この雪国で暮らし,この3月で定年を迎え,生まれ育った横浜に戻る.生まれ育った実家はもうないから,横浜と言っても全く新しいところに住むことになる.それでも,冬,子供の時のように,毎日,関東の真っ青な空を眺めて暮らすことが,僕にとっての大切な夢だったのだ.こちらにいれば定年後もちょっとした仕事があるかもとか,そんなことより,冬,あの群青の空の下で暮らしたい.なにせこの北国では,冬になったら,月に数度しか青空を拝めないのだから.雷は夏ではなく,冬に鳴るものだなんて,25年前までは知らなかった.晴れていることを確認して家を出えたのに,駅に付く前に雨が降り出すことが珍しくないなんて,考えたこともなかった.11月になると冷たい雨が降り出し,12月になると雪がまじり,年の瀬あるいは年初には雪が降り出し,1月中旬か下旬には毎日しんしんと雪が降り続く.はじめは新鮮な経験だったけれど,25年間でそれも薄れた.たとえ霞を食うことになっても,定年後は青空の下の海の近く,そう決めていたのだ.

 

もちろん,都会に広がる新型コロナは心配だ.でも,なんとかなるだろう.それに,若い頃は40歳まで生き伸びればそれで十分だと思っていた.その後は半分余生.そしてこれからは本格的な余生.組織の中で仕事をするのはもうたくさん.人を評価したり,評価されたり,そのことに心を悩ませたりしなくても生きられる.霞だけを食って生きることはできないだろうが,食べるものの半分をカスミにすれば,なんとか遊んで生きていけるだろう.

 

待ち望んでいたその年まであと2日.実際にはあと3ヶ月あるけれど,楽しみ.