霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

東京五輪開会式に思う

今日も暑い日だった.暑すぎるので外に出る気もせず,昼間は夏休みに行う非常勤講師の準備をし,夜になってからは,東京五輪の開会式を見るともなく見た.

 

もともと五輪もスポーツも好きではない人間なので過去の五輪の開会式の記憶もない.だが,入場行進前に行われたエンターテインメントをぼーっと見ていて,『ああ,世の中の人々はやっぱり,私とは全く違うのだな..』そんなふうに感じた.

 

shibuya-kei

開・閉会式の演出のコンセプトは,「Moving Forward」「United by Emotion」「Worlds We share」だとか.電通とか渋谷系とか,時代の波に乗った利己主義者達が,新しい波に乗り続けようと考えだした空虚な言葉だとお思う.具体性はまったくなく,皆で仲良く,なんとなく前に,ポジティブに,進むような感じでいければそれでいい,そんな中途半端なイメージの言葉群である.「United by Emotion」に至っては,たぶん英語ネイティブには理解できないコンセプトだろう.

https://olympics.com/tokyo-2020/ja/ceremonies/

 

sasaki hiroshi

坂本龍一に断られ,野村萬斎に愛想を尽かされ,東京五輪組織委員会がお願いした開会式・閉会式の総合統括ディレクターは,電通出身の佐々木宏だった.それまで彼がどのような仕事をしていたかは知らない.だが株式会社電通の社員っであった以上,キャリアの本道が坂本龍一野村萬斎のような「芸術」であったはずはない.どんなに "クリエイティブ" であろうと,芸術的に見えようと,電通社員の仕事の目的は「お金」であるはずなのだから.

https://twitter.com/DIAMOND__ROUGH/status/1417029008449970181

https://www.asahi.com/articles/ASP7Q5K4DP7QUTI

 

oyamada keigo

少年時代の異常極まる性犯罪的壮絶虐待で辞任した小山田圭吾について,武藤敏郎東京五輪事務総長は「組織委員会が選出した訳ではない」とのたまった.そうかもしれない.そうであれば,統合統括ディレクターの佐々木宏が演出チームの何人かを個人的に選び,選ばれた彼らが仲間を推薦する,というような形でチームが作られたのだろう.つまり,お友達のお友達はお友達という業界のコネによって,五輪の精神とは無関係に演出チームは作られた.それが,例えば,渋谷系小山田圭吾であり,お笑い出身の小林賢太郎であった.

 

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女性の容姿を笑いのネタにしようとする統合統括ディレクターのお友達は人権意識に弱い者が多いのだろう.弱者に凄惨な性的虐待を行うことが悪いどころか過去の自慢話にしてしまう者とか,ホロコーストを笑いのネタにすることに何のためらいも感じない者が多く混じるのだろう.今の業界はお笑い芸人たちに席巻されているように思うが,そもそも,現代のお笑いの源流である「おれたちひょうきん族」は,胸糞悪い「虐め」が笑いの基本であった.このような東京五輪の演出チームが作り出した開会式・閉会式が,果たして世界平和を掲げる五輪の精神に沿うものになるとは到底考えられない.

 

variety

今日の開会式は,日本で行われる式典にしては,確かに登場する女性が多かったように思う.黒人とのハーフの選手も複数登場した.だが,それだけだ.それだけで3つの基本コンセプトの中の1つ「多様性と調和」が満たされるわけではない.『人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合う』などというコンセプトを,佐々木や,小山田や,小林を含むチームが本気で認め,演出によって実現したと考えることは,私には到底できない.

https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/taikaijyunbi/taikai/vision/index.html

 

6月半ば頃,米国テレビ局NBCの幹部が「人々は開会式が始まれば問題(新型コロナ)を忘れ17日間を楽しむだろう」と述べた.テレビを見る限りでは,徐々に,NBC幹部が言った方向に進みつつあるように思う.「たとえ開催に反対していたにしても,すでに始まってしまった以上安全安心に楽しみましょう.」,「アスリートには罪はない.始まった以上,アスリートたちを応援しよう.」そんなことを言うTV出演者が徐々に増えてきて,ついにそんな声が支配的になった.

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0167c587f7cf948ca23e80242ecc230324c7c92

 

日本社会ではたぶん,そのような考えが常識的で,大人で,妥当で,現実的で,優しい考え方である.反対できる人は非常に少ない.ひねくれ者の私だってこの期に及んで「中止しろ」と大声でいう気にはならない.目の前に誰かがいれば,せいぜいぼそっと「ぼくは反対なんだけどね」と言える程度だ.

 

そして,今,一人で酒を飲みながら考えるのは,

 『オリンピックはいらない.』

 『スポーツにはワールドカップや世界選手権があれば十分.』

である.そしてもう少しお酒が進み,完全に酔っ払えばこう言うはずである.

 『スポーツは嫌いだ.』

 

最後に,若いときからの私の主張を1つ.

 『スポーツはタバコと同じように,体に悪い.』

なぜなら,

  1.  いちど始めるとやめられない

  2.やりすぎると体を壊す.

  3.やめると太る.