霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

男と女

Man and Woman

男と女の話は難しい.それは何十年あるいは何百年という長い間,世界中の異なる文化圏で様々な視点から語られてきたからというだけではない.昨今,このテーマは政治臭を帯びているし,LGBTの問題もあって若い人たちの今どきの関心事にもなってしまったからだ.今回のタイトルは「男と女」ではなく「女と男」にしたほうがよいかな..などとセコイことを考えてはみたものの,リベラル・ファッションになってしまったジェンダーレス(genederless),ノンバイナリー(non-binary)あるいは,Gender fluidity まで含めて考えると,順序を入れ替えたぐらいではどうにもならんと思い,そのまま変えないことにした.

https://jobrainbow.jp/magazine/genderless

https://jobrainbow.jp/magazine/whatisnonbinary

https://www.fastgrow.jp/articles/genderfluidity

 

ノンバイナリーと似た言葉は,現役時代に仕事の中で使うことも時々あった.だが,それはコンピュータサイエンスの中でのこと.真か偽かの論理に基づく情報処理ではなく,不確実性や曖昧さを許容する数学理論に基づく情報処理のことである.その「ノンバイナリー」がセクシャリティの文脈で使われていると初めて知ったとき,頭によぎったのはヒッピー文化であった.

 

Hippie

ヒッピー.ここで短く適切に説明できるほどヒッピーに詳しいわけではないが,1950年代後半から70年代前半にかけて世界の若い人たちに広まったムーブメントあるいはカウンターカルチャーといえばよいだろうか.ヒッピー文化には様々な側面があったが,その中の一つに性の解放があった(そのほかにも,自然,共生,自由,愛,平和,非暴力,麻薬,ベトナム反戦などがヒッピーのキーワードだった).多くの若者は Love & Peaceの標語とピースサイン反戦音楽(フォーク・ロック)などに共感し影響を受けたと思うが,筋金入りのヒッピーたちはフリーセックス,バイセクシャル,恋人の共有などによってLove & Peaceを実践していた.愛と性は隠すべきものではなく人間にとって自然なものであるからと,米国でのウッドストック・フェスティバル(1969)では,大観衆の集まる芝生の上で性行為を行うヒッピーたちもいたらしい.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB

 

高校1年のとき,どのようなきっかけだったか覚えていないが,クラスメート10人ほどで生まれ変わるなら男と女のどちらがよいか,という話をしたことがある.1971年だったと思う.日本でもウーマンリブ運動が始まり話題になり始めていたときである.女生徒たちは大半が男に生まれ変わりたいといい,残りは女がよいと答えたと思う.男たちは私を除く全員が男と答え,私だけが女に生まれたかったと言ったのだ.女生徒たちから批判がでた.しかし,私はこれからの新しい時代では女性の方が人生の選択肢がずっと多くなると考えていたのだ.

 

Kotobuki

それは,たまたまの思いつきではない.1971年の当時でも,これからは女性が会社で働いて生きていくことは可能だろうと思えた.働ければ結婚しなくてもすむだろうし(私の伯母がそうだった),会社で働きたくないなら専業主婦という手もある.作家や芸術家,スポーツ選手などへのチャレンジは多くが失敗に終わるだろうが,失敗後の人生を考えると女性の方がリスクがずっと小さかった.組織内で出世したいなどというくだらないことを考えなければ,自由に生きるハードルは女の方が男よりだいぶ低いように思えたのだ.それに,社会不適応でまともな生活ができない場合でも,浮浪者にまで落ちてしまうのは男のほうがずっと多い...横浜は,浮浪者の多い街だったのだ.

 

当時の私は − 今もほとんど変わらないが − 成長して大人になり,組織の中で働いて生きていくことに嫌悪感を持っていた.70年安保闘争で負け,「いちご白書をもう一度」の歌詞のように,おとなしく髪を切って企業に就職していった大学生たちに腹を立てていた.中学生の頃は機動隊と対峙する彼らを憧れの目で見ていたのだ.だから,その時の英雄たちに裏切られた気分だった.そんなこともあって,大きな組織に属さないで生きていくなら女性の方が選択肢が多いと考えていたのだ.

https://www.uta-net.com/song/97688/

 

Homeless

大学4年の時だったか,当時過激なフェミニストと言われていた小池真理子(今の彼女の小説からは想像がつかない)に心酔した女子学生と合コンの場で会ったことがある.小池真理子は当時,男たちにケンカを売るような内容の「知的悪女のすすめ」で有名になっていたのだが,小池に感化された彼女は合コンに来た男たちに議論をふっかけて煙たがられていた.ただ一人応戦したのは私で,結局,片隅で合コンが閉会になるまで延々と議論というか言い争いをしていたのである.議論の中身は全く覚えていないが,おそらくは職場や家庭でよくある男のずるさや不公平さに関する批判と反論だったと思う.なぜかはわからないが,その後彼女に小池真理子の講演会に誘われたのだった.

https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi56.html

 

Rongo

この社会で男と女は公平に扱われていないのではないか,もっと本質的な問いをすれば,男と女は幸せの質と量において等しくないのではないか.その問いは常に吟味され,見直され,幸せの質と量がほぼ等しくなるように調整されるべきと私も思う.ただ,性別というものは,年齢や職業と同程度かそれ以上に,人間にとって『本質的な属性』であると思うのだ.今の日本ではアナクロ視されてしまうフレーズかもしれないが,「男なんだから命を張っても家族を守れ」,「お前は男なんだから母さんを守ってくれ」という考えは,歴史的に国や宗教を超える普遍的な考えであったし,「ママのアップルパイ」,「お母さんの味噌汁」も同様に普遍的である.年齢に関していえば,「三十にして立つ」,「四十にして惑わず」,「五十にして天命を知る」などの孔子の教えは,日本では今でも多くの者の人生指標になっているのではないだろうか.

 

履歴書に年齢と性別を書いてはいけない国もある.しかしそれは,あまりにもひどい性差別,年齢差別が蔓延していたためではないか.政治的には正しくないかもしれないが,逆説的に言えば,仕事のパフォーマンスについて性あるいは年齢により何らかの違いがあるからこそ差別が存在し,禁止せざるをえなくなったのかもしれない.

 

もちろん,純粋な偏見による差別だった可能性もある.しかし考えてみよう.初対面の人と会ったり,仕事したり,協力するとき,あるいは相手を深く理解する必要があるとき,とっかかりの情報として,性別,年令,職業は最も普遍的に使われる属性である.それは様々な判断や意思決定に『統計的』に役に立つからである.役に立つということは,様々なものがその属性に,統計的であるにせよ,依存しているからである.

 

女より男に乱暴者が多いという知識は,ほとんどの国で当てはまるだろう.女は男より優しい人が多い,男は女より怠け者が多い.細かい手仕事は女性の方が上手.個々の例は誤っているかもしれないが,性別や年令に依存する傾向は必ずある.

 

dear

なぜ人を含む生物が仲間たちの属性の違いを識別するのかといえば,一つには生殖のためであろう.そして,その副目的になるかもしれぬが,属性を識別することによって,統計的に何らかの能力の違いを認識できるからだろう.ある種の雌鹿は,雄鹿の角の立派さを見て相手を選ぶという.動物番組を見れば似たようは話は山ほどある.人間の場合は,年齢が違えば体力が違うし,経験も知識も年齢に依存するだろう.職業が違えば何を知っているか,何を重視するか,どのように考えるかが違うだろう.性別だって同様だ.何かが違うはずなのだ.そのことを否定したら,属性によって物事を効率よく判断することはできなくなるし,多くの人工知能システムも使えなくなる.

 

age

言い古されてきたことだが,また反動だと決めつけられかねないため思ってもなかなか口に出せないことだが,区別と差別は違う.違うことを認識することが学問の始まりでもあるのだ.そして合理的で公平な判断をするための基礎でもあるのだ.20歳と40歳と60歳と80歳では明らかに違う.年齢に独立な違いもあるが,年齢に依存する様々な違いもあるはずだ.電子回路設計者とウーバーの配達員では仕事の経験も知識も大きな違いがあるだろう.仕事の経験から得られた人生観も違うだろう.性別についても同様だ.そうした違いを無視してすべてを同じに扱うことが公平だとはいえない.

 

大切なのは,異なる属性を持つ人々を,合理的に客観的に偏見なく扱うことだ.その上で,恵まれない人々にあらゆる意味で優しい社会を作り上げること.幸せの質と量をなるべく同じにすること.趣味で宇宙旅行を考えるような大富豪からはより大きな税率で税金を取り,恵まれない人々に社会的分配を行うこと.そしてエッセンシャルワーカーに感謝し,お互いを尊重すること.

 

大切なのはそういうことだ.女と男の違いや性差別を云々するまえに,ジェンダーレスとかノンバイナリーとか珍妙な言葉を発明する前に,すべての人々に,それはつまり,優しくされていない弱い人々,あらゆるマイノリティのために優しい社会を作り上げることがまずは大切だ.すべての人々がそれさえ理解していれば,恋愛を除く男と女の社会的な問題は軽減され,多くは解決されるのではないか.それでも恋愛に関しては,男と女の間に深くて暗い谷はあるかもしれないが.

 

 

入国管理局の悪評

このところブログを書くペースが落ちている.なかなか書く気分になれないからだが,それはたぶん,毎日何を見てもコロナ,コロナ,コロナであるからのように思う.通常は新聞やテレビを見て世の中の何かに違和感を感じたときに自分の考えをまとめようと思う.しかし1年以上もの間,新型コロナばかり見せられていると,もうたくさんだという気分になって世の中のことを忘れてしまいたくなってしまうのだ.もちろん,新型コロナが社会的に大切な大問題だということは分かっている...

 

予報によれば,今日は一日中天気が悪いということなので久しぶりに何かを書こうと思っていたのだが,昨日の新聞を片付けているとき『入管』というネタが見つかった.7月7日,朝日新聞「オピニオン&フォーラム」欄の「耕論 入管は変われるか」である.

https://www.asahi.com/articles/DA3S14964616.html?iref=pc_photo_gallery_breadcrumb

 

この欄はいつも特定のトピックについて3人の記者がそれぞれ3人の評者に話を聞いてまとめるのだが,例えば,トップの評者はその分野のオーソドックスな立場から,2人目は別の専門の視点から,3人目は当事者の立場からのように設計され,読者を複数の視点から考えることを促すようになっている.どれも参考になるのだが,多くの場合,私は3人目の評者の話が気にかかる.

 

Nishanta

前置きが長くなったが,3人目の評者は,先日名古屋入管収監中に体調を崩し,治療も受けられないまま亡くなったウィシュマ・サンダマリさんと同じスリランカ出身の「にしゃんた」さんの経験談と入管に対する見解である.なお,ウィシュマ・サンダマリさんの事件概要は,例えば以下に書かれている.ネットで検索すれば,様々な解説と見解が見つかるだろう

https://news.yahoo.co.jp/articles/51202d7203a19130819bb70995b83dc20ea27d9e

 

Immigration Bureau

にしゃんたさんによれば,入管とは「ビザの更新できただけなのに,気持ちまで汚れてしまうような.外で目にする日本人とはまるで違う.非人間的な扱いが凝縮した空間です.」具体例は記事を読んでもらうとして(有料会員でないと読めないが...すみません),私も大学教員時代,アジア諸国の多くの留学生たちから入管について同じような話を聞いた.言葉遣いがぞんざいで乱暴ということは記事にも書いてあるが,一部の学生達によれば攻撃的で罪人扱いされている気がしてくるそうだ.20年ほど前の話になるが,後輩だった韓国人留学生達によれば,「(当時)圧倒的に反日の雰囲気が強い韓国の中で,日本に留学する学生たちは皆,例外的に日本好きな学生たちばかりだ.にも関わらず,ほとんどが最初に会う日本人(=入管)で日本が嫌いになる」ということであった.

 

playmate

このような入管のひどさについての話は,多くの場合アジアなど開発途上国から来た人々の経験談なのだが,会社員時代には,米国から派遣で来ていた米国人エンジニア(白人)からも聞いたことがある.これも30年位前の話だが,当時,米国のプレイボーイ誌はプレイメイトと呼ばれる女性たちのヌード写真を売り物にしていた.当時の日本では禁止されていたフルヌード写真ではあるがハスラー誌などの過激なエロ雑誌とは違って,(主観的であるが,男なら)誰がみても美しいヌード写真である.また,米プレイボーイ誌は政治的,社会的な硬派の記事も常時掲載していて,若い大学卒の独身男性達がごく普通に読んでいた - というより,読んでいれば若くても社会的意識が高いと思われるような - 雑誌であった.だから,先の米国人は機内で読むつもりで,ごく普通の気持ちでプレイボーイ誌を持ってきたのだった.そして入管でそれを咎められたのだった.彼によれば,「日本に持ち込んではいけないとは知らなかった.持ち込んではいけない規則なら取り上げられても仕方がないが,入管の担当者は,その雑誌を高々と掲げて振り回し,周りいた人々が皆わかるように,大声で『!”#$%&=〜+*!』と叫んだ」そうである.『 』部分は日本語であったので彼にはよくわからない.しかし,彼は「罪人のように扱われて居たたまれなかった」と感じたそうである.

 

passport

私自身も若い頃に一度,入管で不快な思いをしたことがある.海外から帰国して,入管でパスポートの自分の写真や名前のあるページを開いて提示したときである.担当者の男性は「パスポートを見せてください」と言った.そのときの私の反応は覚えていないが,おそらくは聞き間違えだと思い,聞き返すか不可解な顔をしたと思う.その後も担当者は「パスポートを見せてください」と1,2度繰り返した.私は..よく覚えてないが..「これ,パスポートですけど..」とても言ったかもしれない.そのようなやり取りのあと,彼は突然にパスポートを取り上げ,それを閉じ,表面を上にしてバンと机の上に置き,「これがパスポートだ/です」と言ったのだ.

 

「パスポートを見せてください」と言われたとき,「パスポートを閉じて表面を上にして出す」ことが正しく,「パスポートを開いて見せるのは誤り」ということをどれだけの人が知っているのだろうか?

 

以上のような私個人の経験は,20年,30年前のものばかりである.当時は自治体窓口の公務員にもひどい対応をするものが少なくなかった.しかし自治体の公務員の対応は昔に比べて格段に良くなった.だから,なんとなく入管も少しはマシになっているのだろうと思っていたのだが,ウィシュマ・サンダマリさんの件や今回の新聞記事を読む限りでは,入管だけが,昭和のあの理不尽な入管のままであるようだ.

 

 

ハレルヤ(Hallelujah) - Lucy Thomas

今日のYoutube音楽は,Lucy Thomasのハレルヤ.まずは,その動画を貼っておこう.

 

 

Lucy Thomasを知ったのは,数年前.Youtubeでたまたま彼女の動画を見て,素晴らしい歌声と透き通るような美しさでファンになった.とはいってもYoutubeで聞くばかりで,アルバムは買っていないのだが..

年齢はとても若い.正確にはわからないが,2019年に14歳でファーストアルバム(Premiere)を出したというから今は16歳か17歳ではないか.歌のうまさと声量,それに堂々たる歌いっぷりでその若さとはとても信じられない.Youtubeには他の多くの曲 − ほとんどが名曲のカバー − がアップしてありどれも素晴らしい.

 

今日紹介したのはその中でも私が好きなハレルヤ.2016年に亡くなったLeonard Cohenがオリジナル曲として1984年に発表したもので,数え切れないほど多くの歌手にカバーされた.以下には,そのLeonard Cohenの動画を2つと,Jeff Buckley, John Cale, それに Bob Dylanの動画を貼っておく.

 

歌詞は宗教的な内容を含む愛の歌と軽く言ってしまうのがためらわれるほど深く,私には説明しきれないので,ネット上で見つけた解説もつけておく.

 

Hallelujah:歌詞の解説

  http://20100213.blogspot.com/2010/02/hallelujah-jeff-buckley.html

 

 

Leonard Cohen 1

 

Leonard Cohen 2

 

Jeff Buckley

 

John Cale

 

Bob Dylan

 

 

日本国劣化と若いエリート

6月25日,金曜日.定年後の生活は毎日が日曜日だ.しかし毎朝ゆっくり起きて朝食後のぼんやり過ごす時間を大切にしたいとか,健康のため毎日散歩したり自転車に乗ろう,新しい遊びを始めよう,家人に課せられた家事をまともにこなす学習・準備をしようなどをしていると,あっという間に時間が過ぎてしまう.その上,夕方になればビールでも飲もうということになるから,なかなかブログを書くネタを調べる時間も書く時間もない.今日は天気もあまりよくなく,家事を言いつける家人もいないので,久しぶりにブログを書くことになった.

 

asahi

今朝,新聞を広げて見ると,まず『閣僚「五輪中止を」拒む首相』との一面トップの見出しが目に入る.その左には『教職敬遠され採用倍率最低』(35面に関連記事として『先生ほしい 下げるハードル』)があり,一面の右下には『コロナワクチン日本市場3000億円』,そして左下には『香港消された言論』と配置されている.一枚めくった右側の二面には一面トップの続きが詳細に書かれ,左側の三面には『赤木ファイルに「資料 議員に持っていくつもりない」財務省,野党要求拒否認める』の記事がある.

 

一面から三面まで,そして35面の関連記事をひととおりざっと読むが本当に気が滅入る話ばかりだ.特に,五輪中止を拒む首相の記事,応募者を増やすために教員採用の筆記試験を免除する記事,赤木ファイルを隠し続けた不誠実な財務省の記事は,日本という国の著しい劣化,別の言い方をすると政治と行政の後進国化,を改めて認識させ,言うべき言葉を失う.しばらくして頭に浮かんできたフレーズは,『いったいどのような教育を受け,どのような経歴を持った人がこのように不誠実でデタラメな政治と行政を行うことができるのか』,そして『どのような人々がこのような政治・行政を許容することができるのか?』である.途方に暮れ,もう新聞を読んだりニュースを見たり考えることはやめて,個人的な楽しみの生活に閉じこもってしまおうかとさえ思ってしまう.

 

Kurodai

例えば...

先週末,満潮時の河口にあれほどたくさんいたクロダイは今週に入ってぱったり消えた.あのクロダイたちはいったいどこに消えてしまったのだろうか.橋の下でパーティをしていた彼らは,今シーズンの祭りを終えて海に帰ってしまったのだろうか.それとも,大潮が終わればまた河口に戻ってくるのだろうか(知っている人がいたら教えて下さい).今シーズン,初めてのクロダイ釣りは諦めて(つまりクロダイのアクアパッツアは諦めて),港内のサビキ釣りで豆アジかヒコイワシ(シコイワシ)を狙おうか(豆アジかヒコイワシの酢漬けか天ぷらにしようか)などと考えている.

 

五輪中止を拒む首相の記事に戻ろう.

https://www.asahi.com/articles/DA3S14950623.html

 

olympic

記事によれば,5月半ばから6月21日の五輪の5者協議まで,何人もの閣僚らが菅義偉首相に五輪中止を求める直言をし,中止の決断を迫ったという.しかし,菅義偉は「ワクチン接種を加速させる」,「感染者数は6月に減るはずだ」との妄言を繰り返した.五輪にワクチンが間に合わないこと,7月には第5波が来ることを専門家たちが指摘していた最中にだ.5者協議直前の20日には「分かってるよ.宣言になったらやめればいいんだろ」と捨て台詞とも思えるような発言をしたという.

 

こんなことも行ったと記事はいう.「五輪はやめるのが一番簡単なんだ.でもここまできた.全部止めるわけにはいかない.」 本人は嘘をいったつもりはないかもしれないがそれは事実ではない.ズルズル引きずってきた五輪であるからこそ,6月に入ってからやめる決断をするのは大変だったはずだ.周囲の反対を押し切ってずっと【実施】と言い張ってきたのだ.その本人がやめると言い出せば周囲の政治家も官僚も一気に士気が下がるだろう.親玉の菅義偉は,やる気を失った関係者たちと国民に対して,決断が遅れた理由と,遅れた決断をあえてする理由を明確に述べなければならない.さらに,それによる大混乱を最小限にするための手順を迅速に合理的に考え,指示しなければならない.菅義偉にもその周辺の大臣や補佐官にもそのような能力は皆無だろう.忖度官僚たちにもあるはずがない.菅義偉にとっては,思考を停止し,希望的観測に基づいて,五輪を強行することが一番簡単だったのだ.というより,それ以外の選択肢を実行するために必要な能力がなかった,が本当のところなのかもしれない.

 

suga

会社など組織の中で長い間働いた人間であればわかると思うが,このように振る舞うオヤジはどこにでもいる.何の根拠も示さず,現実を見ず,希望的観測に基づいて,自分の(考えではなく)思いだけを述べる.それではうまくいかない,トラブルが起きると心配する部下や若い人たちがどんなに根拠を示しつつ説明しても聞く耳を持たない.自分に従うものに対しては面倒見が良いが,批判したり反対する同僚や部下には厳しく接する.その一方で自分より上位の者には無条件にへつらう.

どうしようもなくだめなオヤジだが,うまくいってない会社や組織にはそこそこの地位,例えば部長補佐などにこんなオヤジがいたりする.そんな三流組織の部長補佐クラスが日本の首相になってしまったのだ.我々国民が首相にしてしまったのだ.

 

長期的に落ち目で復活反転する見込みのほとんどない二流国・日本だが,このようなダメ親父を首相にしてしまった.しかもダメ首相の妄言,暴走を押し止めることのできない政治家や官僚しか周りにはいない.これでは三流国,四流国に落ちるのも遠くないだろう.

 

Kurodai

日本の若いエリートたちもそれは切実に感じているようだ.東京大学の卒業生で官僚を目指すものが激減しているとの報道があった.一流大学の卒業生達が就職先の第一希望とするのは都市銀行でもなく一部上場の大メーカでもない.彼らが目指すのは外資コンサルティングとグローバルIT企業だ.つまり,頭の良いものほど日本を見捨て海外に出ていこうとする時代になった.それは,インド,スリランカバングラデシュの若いエリート達と同じだ.

 

もちろんそのことを批判するつもりはない.彼らには彼らの人生があるし,エリートといえども彼らに今の日本を変えるほどのパワーがあるとは思えないからだ.ただ,彼らの優れた能力を,社会や公共のためにではなく,彼らが金持ちになるという個人的欲望のためだけに使うことに,何のためらいも見せないその姿に,とても深い悲しみを覚える.彼らエリートが勝ち取った能力や地位は,もちろん彼らの努力と両親から与えられた幸運もあるのだが,税金という公共のお金をかけた教育があればこそなのだから.

 

 

横浜 新型コロナワクチン予約狂騒曲

vaccine

私は現在65歳.新参の高齢者である.4月23日夜,菅義偉首相が7月末までに新型コロナワクチンをすべての高齢者に接種すると宣言したが,その3600万人の対象者のうちの一人だ.菅義偉の思いつき発言が出るまで,私が住む横浜市では8月中に接種を終える計画であったらしく,この7月末発言のあとワクチン接種予約は混乱を極めた.

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210523-OYT1T50185/

 

yokohama

当初,横浜市は 5/3(月)から80歳以上,5/10(月)から70歳以上,5/17(月)から65歳以上の予約開始を予定し,それに合わせて接種券の発送日も公表されていた.ところが5月3日の予約開始日,午前9時の開始時間からネットアクセスと電話が殺到し,わずか45分で予約受付を中止する羽目に陥ったのだ.しかもこの予約受付の中止は,予約で必死の者たちに伝えることも難しかったらしい.私の母親の接種予約をしようと頑張っていた姉と姪はその日,夕方までパソコンとスマホにかじりついていたのだという.

https://www.asahi.com/articles/ASP5371JNP53ULOB003.html

 

no access

予約が再開されたのは2日後の5月5日(水).姉からワクチン接種予約への助っ人を求められていたので,この日は私と妻も戦力として参戦した.姉と姪はそれぞれの自宅でPCを立ち上げ,私の家ではPC3台をテーブルに並べ,さらにスマホに自動リダイヤルアプリをインストールし午前9時を待つ.午後まで続くことも覚悟して予定を一切入れなかったのだが,幸いにも1時間と10分ほどで3台のうちの1台が予約サイトにつながり,無事に90過ぎの母の予約が完了した.以下のサイトによると,この日は7万5千人分の予約を受付け,夕方でも予約が可能であったように書いてあるが,私が予約した会場はその時点でほとんどが埋まっていて残りはわずかしかなかった.

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210505/k10013013151000.html

 

翌週10日.この日は70歳以上の予約枠で義兄の接種予約の開始日.母のときと同様に姉一家と共同で参戦するつもりだったが,直前になって横浜市は1週間の延期を発表.おそらく予約できていない80歳以上を優先するためだろうが,直前に変更されても気づかない.姉が頻繁に横浜市のサイトをチェックしていたから分かったものの,姉から連絡されるまでわからなかった.同時に65歳以上の接種券送付日もいつの間にか14日から17日に変更になっていた.それはつまり,65歳の予約も1週間延期ということなんだね,きっと.市からは何の説明もないけれど. 17日当日の義兄の予約は,古いPCをもう1台加えて4台のPCをテーブルに並べてのぞみ,うち1台が20分ほどでつながったのだった.

https://mainichi.jp/articles/20210506/k00/00m/040/126000c

https://www.kanaloco.jp/news/government/article-494687.html

 

Hayashi

横浜市の迷走はその後も続く.すでに65歳以上の枠の予約開始は17日から24日に変更されていたが,このままでは菅義偉が宣言した7月末に間に合わないから「接種日」を前倒しにすると直前になって発表.そして,24日に予約する接種の日を前倒しするために,24日の予約枠を半分以下に削減するというのだ.なんのこっちゃ.

https://www.tokyo-np.co.jp/article/105840

 

いよいよやってきた24日.まだ予約できていない多くの80歳以上,70歳以上の古参高齢者に加え,新たに参戦する65歳以上の新参高齢者たちが,半分以下に削減されたワクチン接種枠を争う.これは厳しい戦いになる.姉と私はどちらもこの65以上の枠に入るので,この日は協力ではなくそれぞれがトライすることになった.午前8時30分からPCを立ち上げて待機し,9時15分に予約サイトへのアクセスに成功したが,接種枠が少なすぎてすでに予約はいっぱい.あえなく敗退したのだった.

 

姉は9時10分ごろにアクセスに成功し,かろうじて予約することができたのだが問題点が1つあった.母と義兄の予約ときは1回目の接種予約をすると3週間後の同時刻に2回目の接種が自動予約されたのだが,姉の時は2度目の自動予約ができてなかったという.接種枠の削減だけでなく,2度めの自動予約についても変更になっていたのだ.何の説明もなく.後日電話で問い合わせると,3週間後に自分で2回めを予約してくださいとのことだったらしいが,そんな簡単に希望日の予約なんてできないのに..

 

その後,横浜市は「集団接種」と「個別接種」に加えて,独自の「大規模接種」をすることを発表した.結局,私は6月3日に大規模接種を予約し,姉は予約できた集団接種をキャンセルして「かかりつけ医」に電話して個別接種の予約をしたのだった.

 

こうして書いてみると,自分が大騒ぎをしていてちょっとバカみたいな気もしてくる.

 

テレビでは,タレント化した医学者たちが,「コロナに感染するリスクよりワクチン接種のリスクのほうがはるかに小さい」と壊れたテープレコーダのように,根拠も示さず繰り返している.短期的なリスクについてはそうかもしれない.だが,昨年の夏頃,まだワクチン実用化はまだまだ先と言われていた頃,TVでは多くの医学者がSARSやMERSなどコロナ系ウィルスのワクチンが成功していない理由としてADE(Anti-body Dependent Enhancement:抗体依存増強)を挙げていた.その心配はなくなったのか.mRNAワクチンについてはmRNAからDNAへの逆転写の可能性とその未知の影響を指摘した論文が出ている.狂犬病HIV,HPV,ジカ熱,チクングニア熱などに関して,新型コロナの前にmRNAワクチンの臨床試験が開始されていたが,いまだに一つも実用化に至っていないのはなぜか.そこで問題になったことは新型コロナには適用されないのか.さらには,mRNAが作り出すスパイクタンパク質そのものが病原性を持つなどという話まである.

https://www.niid.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/2536-related-articles/related-articles-492/10182-492r06.html

https://clinic-yamauchi.com/news/757/

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021012800839&g=soc

https://indeep.jp/we-made-a-mistake-says-the-developer-of-the-mrna-corona-vaccine/

 

IVM

ワクチンに対する疑問に比べると,イベルメクチンへの疑問のほうがはるかに少ない.本当のところをいえば,イベルメクチン(ストロメクトール・ジェニリック)を買って飲んでいるので,ワクチンはしばらく様子をみようかな..という気持ちもあるのだ.

 

ハマスをテロ組織とよぶこと

5月20日,イスラエルハマスの紛争が停戦合意した.だが,過去の紛争を見ると両者の停戦合意はそう簡単には守られず,新聞でよく使われる紋切り型の言葉を使えば,予断が許さない.

 

Iiyama

ところで,日本のマスコミや保守系の政治家,評論家たちは,テロやテロ組織という言葉を,何の注釈もつけず,ためらいも見せずに口にすることが多い.我々自由主義社会の平和な日常と安定を脅かすあらゆる暴力は「テロ」であって,「テロ」といえば問答無用,一刀両断に切り捨ててよいと言わんばかりだ.最近の例で言えば,中山防衛副大臣が「私達の心はイスラエルと共にあります」と悪びれずもせずにツイートしてそのお気軽さで非難されたが,そのツイート内で「イスラエルにはテロリストから自国を守る権利があります」と述べた.また,自称イスラム思想研究者の飯山陽は中山防衛副大臣を擁護するブログの中で,「ハマスはテロ組織」だからイスラエルは国民と国土を自衛する権利があると主張する.

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210521/k10013043041000.html

https://note.com/iiyamaakari/n/nb694907826bc

 

Netanyahu

テロリストという言葉は,国の支配者たちが自分の統治に抵抗する者たちを指して使うことが多い.例を挙げれば,イスラエルのネタニヤフ首相がパレスチナ解放運動を行うハマスに対して,トルコのエルドアン大統領がクルド族の独立運動に対して,ロシアのプーチン大統領チェチェン独立運動に対して,中国の習近平チベット族,ウィグル族,香港の民主化独立運動に対して,ミャンマー軍部がカチン族やロヒンギャ等の少数民族に対して使う.これらの例では,暴力的弾圧と暴力的抵抗がセットになっていて,弾圧する側が抵抗者をテロリストと呼ぶ.ただし,個々の例にはそれぞれ個別の事情があるから,今日はパレスチナハマスについてテロリストと呼ぶことが適切なのかについて考えてみたい.

https://twitter.com/gloomydeaf/status/1392769349300088832

 

Hamas

ハマスイスラム主義を掲げるパレスチナの一組織で,イスラエルを国家としては認めず,パレスチナ国家樹立を目指す政党である.20世紀にはPLOパレスチナ解放機構)がパレスチナ自治政府を代表する勢力であったが,PLOアラファト議長イスラエルとの共存を目指すようになってから,強硬派のハマスが支持を伸ばした.パレスチナ地方議会選挙(2004年)や評議会選挙(2006年)で過半数を占めたことを見ると,一般のパレスチナ人から支持されたといってよいだろう.今ではハマスパレスチナガザ地区を実効支配しており,今回の紛争でイスラエル軍と戦っているのもハマスである.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/22996

 

Palestine

念のため背景を簡単に補足しておこう.パレスチナは第2次世界対戦直後まではパレスチナ人の土地であったが,米国と英国を中心にした国際社会がホロコーストで悲惨な目にあったユダヤ人のため,この地に新国家としてのイスラエルを作った.2000年前までパレスチナユダヤ人の土地だったからである.イスラエルが建国されたのは1948年5月15日であるが,この日は2000年間その地に住んでいたパレスチナ人が強制的にその地を追われた「ナクバの悲劇」の日でもある.

 

bomming

ハマスは日本を含む先進諸国から「テロ組織」とされているが,貧困層への教育や医療,福祉事業など,パレスチナ人のための社会活動を行って支持を広げた.その地道な活動がガザ地区での実効支配につながっているという.一方で,上述のようにイスラエル国家を認めず,武力でパレスチナの地を取り戻そうともしている.イスラエルに対して,ロケット攻撃,自爆テロ,要人暗殺などの暴力行為も行う.それが理由で,イスラエルだけでなく,米国,EU,日本がハマスを「テロ組織」と指定しているのだ.

 

De Gaulle

さて,ハマスを「テロ組織」として非難することは公正だろうか.かつて,第2次世界大戦時,ヒトラーのドイツに占領されたフランスでレジスタンス運動があった.暴力で不当に占領された土地を取り戻すために暴力で抵抗するという点で同じだ.ではそのレジスタンス運動をひきいた者や参加したもの − 例えば,後の18代フランス大統領ド・ゴール − はテロリストか.ミャンマーのカチン族はロヒンギャはどうか.中国に対するチベットの抵抗運動,南ベトナムでのベトコンの戦い,キューバでのチェ・ゲバラ.具体的な事情はそれぞれ違うが,彼らをテロリストと切って捨てることは妥当なのか.一般論として暴力が悪であるとしても,暴力により占領・支配するものに対する暴力的抵抗をテロといって非難することは正義か.仮定の話だが,中国が台湾に軍事侵攻し暴力的に支配したとして,もし台湾で暴力的な抵抗運動が起きたら彼らをテロリストと呼ぶことには同意できないだろう.

 

Intefadah

「テロ攻撃」という言葉は非対称の戦いにおける強者側が使う.圧倒的な強者だ.かつて「テロ」という言葉をひんぱんに使った者たちを思い出してみよう.ネタニヤフ,エルドアンプーチン習近平,ブッシュ.いかにも怪しげな公正の「コ」の字も感じられない面々だ.一方で彼らの暴力 − 彼らが命じた軍事行動・鎮圧行動で殺されたものの数を想像してみよう − は「圧政」という言葉に変換され,隠され,和らげられる.その共犯者はマスコミだ.大手マスコミは強者側の暴力を「圧政」という言葉で和らげて報道する一方,弱者側の抵抗を「暴力」あるいは強者と一緒に「テロ」と呼ぶ.

 

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イスラエルパレスチナの戦いも非対称だ.力が圧倒的に違う.パレスチナの青年が石を投げればイスラエル兵士は実弾を撃つ.ハマスがロケット砲を撃ってもその90%は迎撃される.そしてイスラエルは大規模な爆撃で報復する.もちろん死傷者数も完全に非対称.圧倒的にパレスチナ側のほうが多いのだ.

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/05/25-42.php

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65487

 

Intefadah2

イスラエル占領下におけるパレスチナ人の苦境は誰もが知っている.それは圧政などという生易しい話では済まない.ガザ地区などは「天井のない監獄」と呼ばれている.ガザの住民全員が監獄に入れられているというたとえだ.

https://jammin.co.jp/charity_list/180326-ccp/

https://www.tokyo-np.co.jp/article/58017

https://www.asahi.com/articles/ASP5P5S13P5NUHBI00J.html

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%A9%E4%BA%95%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E7%9B%A3%E7%8D%84/

 

私は,ネタニヤフ首相に率いられるイスラエルという国家 - いくつもの国連決議を無視している - は,北朝鮮に次ぐほどのデタラメな無法国家だと思う.

 

GYPSY SONG - 西岡恭蔵

今日は,西岡恭蔵のGypsy Song.

 

西岡恭蔵の歌をここで紹介するのはたぶん2度め.彼の歌はだいたいほぼなんでも好きなのだが,その中で一番好きな歌...というわけではない.好きな歌がたくさんありすぎて選びきれないのだ.ただ,今夜は,たまたまGypsy Songが頭に浮かんだ.でも,こんな夜中に西岡恭蔵を聞こうと思った時はこの歌が多いかな.

 

夜中に一人でお酒を飲みながらこの歌を聞き始めると,何度も聞きたくなって終わりがない.きりがないのだ.

 

そのうちに若い頃にあったいろいろなことを思い出して,哀しくなったりしてますますベッドに行く気にならなくなる. そして,もう一杯だけ..が,もう二杯になる.そして,さらに一杯.

 

西岡恭蔵,いい風貌しているよな.生きている間に会ってお酒でものみたかったな.

 

 

GYPSY SONG