霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

殺さないこと,戦わないこと

Soldier1

1960年代から70年代始め,私が子供か少年だった頃,多くの日本人は憲法9条を戦後日本の素晴らしい宝物のように思い,日本もスイスのような永世中立国になりたいと考えていたように思う.まだ個人の海外旅行など簡単にはできない時代だったが,日本人が行ってみたい外国はいつもダントツでスイスだった.日本に軍隊はいらない,日米安保もいらない,外国が日本に攻め入ってきたときには手を挙げて降参するのが一番だと考える人たちが大勢いた.

 

Soldier2

第二次世界大戦の悲惨な戦いが人々の心に強く残っていた時代だ.街ではまだ白衣や軍服を着た傷痍軍人アコーディオンを弾きながら物乞いをしていた.彼らは南太平洋で,インパールで,フィリピンで,満州で,凄惨な戦いをして傷ついたのだ.ソ連や中国に比べれば数は少ないが,230万とも言われる戦死者の中で半数以上あるいは2/3は戦闘で死亡したのではなく,病死あるいは餓死だったという.第二次大戦の後半,日本軍は敗走に次ぐ敗走を重ねていたが,生きて帰った者たちの証言によれば,時には傷ついた戦友を見捨てざるをえないことがあり,生き延びるために人肉を口にした者も稀でなかったというほど,凄惨極まる戦争だった.なんとか日本までたどり着いた帰還兵の多くは戦場でのことをほとんど話さなかったと聞く.日常に戻りつつあった戦後日本で,それほど陰惨な経験を家族に話すことなどとうていできなかったろう.

https://www.hns.gr.jp/sacred_place/warcasualty.html

 

Bombing

国内では,広島・長崎の原爆および日本中の都市に対して行われた米軍の戦略爆撃により80万の市民が犠牲になった.数字としては中国,ソ連,ドイツに比べればはるかに少ない.しかしそれでも,戦争はもうこりごりだと誰もが思った.戦争に負けるまで,日本政府と日本軍は鬼畜米英,負けたら男は皆殺しにされ,女は強姦され,日本の国は地上から消える,だから一億総玉砕の覚悟で戦えと言い続けてきた.しかし負けて米国に占領されてみると米兵は意外に優しかった.町中でチョコレートやガムを子供たちに配るだけでなく,飢えた日本人に食料のみならず,医薬品,医療,学用品など,大量の救援物資(ララ物資)を贈って助けてくれた.日本人の心であった天皇の戦争責任を問うことはなかったし,農地開放で地主の土地を貧乏小作人に分け与えてくれた.それまで日本人が知らなかった自由や人権まで授けてくれたのだ.こんなに優しいアメリカさんだと分かっていたらさっさと負ければよかった,鬼畜米英などと言わずにもっと早く降参していれば310万(戦死者230万+国内死者80万)もの日本人の命を失わずに済んだのに...と多くの人が思った.

 

Palestine

一口に戦争といっても様々な形がある.例えば,旧ユーゴスラビアイスラエルパレスチナの戦いのように,異なる宗教や異なる民族間の長年に渡る憎しみが主因の戦争であったのなら,戦後日本のような幸せな敗戦はありえないだろう.国民同士の憎しみ合い,特に先祖や過去の復讐や恨みに基づく戦いの場合は,皆殺しまたは民族浄化が戦争の目的になりかねない.しかし帝国主義的戦争や覇権を目的とした戦争の場合,つまり為政者の権力欲や領土・利益が目的の戦争 -- 国民と国民の間の憎しみ合いではない戦争 -- の場合は,戦争中の犠牲者(死者,負傷者,強姦被害者,その他)の数より,戦争後の勝者暴力による犠牲者の数ははるかに少なく済むだろう.そうであれば,犠牲者の数だけを考えると,負ける可能性の高い側のベストな選択肢は【戦わない】である.戦わないことを前提に(ブラフとして多少の抵抗を示すとしても)交渉する.戦えば負けることは明らかだから交渉力は弱く,国の主権や領土を失うかもしれない.しかし,何万,何十万,何百万の国民を犠牲にすることとの二者択一なら,【戦わない】がはるかにマシな選択であると私は思う.

 

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War

ウクライナとロシアの戦い.どちらに正義があるかについては議論する必要もないだろう.私が言いたいのは,ウクライナの大統領,ウォロディミル・ゼレンスキーの意思決定についてだ.『自国の独立と主権を守るために徹底的に戦う』その決断は誇り高く,たぶん美しく,自国民だけでなく,世界中の人々から称賛されるだろう.国連総会でも各国代表が立ち上がって拍手をするだろう.だが,どんなに世界中から称賛されようが,軍事的・経済的支援を受けようが,それは数多くの自国民を犠牲者にする決定であることは間違いない.戦わなければ,NATOへの加盟は諦めると約束すれば,あるいは彼がロシアの要求を受け入れて大統領を辞任すれば,犠牲になった国民の大半は犠牲にならずに済んでいただろう.

 

ウクライナのことはウクライナの人々が決める.それでいい.彼らは膨大な犠牲者を出しても,敗北する可能性のほうがはるかに高くても,誇りのために戦うことを選んだ.

 

GDP

だが,同様のことが日本に起きたとき -- 可能性として考えられるのは中国による日本への侵略 -- 日本は本格的な戦争をしないほうがよいと私は思う.戦えば同盟国である米国が助けに来てくれるにしても(日米安保では,日本が自ら戦うのであれば米国はそれを助ける義務を負う,だったと思う),相当数の犠牲者を出さざるをえないだろう.中国と日本の全面戦争 - 助ける米国にとっては極東での限定的な局地戦 - になれば,中国が核を使わなくても,戦闘員,非戦闘員の区別なく日本の犠牲者が膨大に出るのは必須だろう.2020年代半ば,遅くとも2030年には中国のGDPは米国に追いつくという.軍事的に追いつくのはもう少し先だろうが,中国の兵力数は米国の倍以上である上に,米国より遥かに日本に近い.自らの意思で日本に侵攻する中国と,他国を義務で守る米国という士気の違いもある.さらに重要なのは,日米連合に勝つという計算ができたときに中国は日本に侵攻するだろうから,可能性としては日本の完敗と考えてよいだろう.

 

だとすれば,国民の犠牲者を最小限に抑えるためにも戦わないほうがよい.また,いったん全面戦争を始めてしまえば,間違いなく2つの国民はお互いに憎しみ合うようになる.国民間の憎しみがしばしば占領後の虐殺につながることを考えれば,同じように占領されるにしても,戦わずに負けた方が占領後の犠牲者も少なくなるだろう.

 

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GDP

戦わない.決して戦争しない.憲法9条は,公的には,あるいは学術的には,日本が二度と他国を侵略しないようにするために作られたそうだが,昭和の時代,多くの庶民はそのように理解しなかった.戦場で無残なほどに惨めな死に方をしていった親や兄弟や戦友.降り注ぐ焼夷弾(ナパーム弾は焼夷弾の一種)の中で燃え上がり焼けていった家族や友人.310万人のそうした犠牲者を出した経験として,あの頃の多くの日本人は侵略されても戦わない,二度と悲惨な犠牲者をださない,その決意として憲法9条があると理解したのだ.それは,当然だが,他国を侵略しないことにもつながる.

 

私は,子供時代のように,あの頃に機動隊と対峙していた大学生たちのように,素朴に,今でも非武装・中立を望んでいる.もちろん,アンポ・ハンタイだ.