霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

胸が痛い

木村充揮.いつの間にか − といっても1998年だからもう20年以上前の話だけど − 解散してた憂歌団のボーカルをしてた歌手だ.大塚まさじ(ディランII)と同じく,40年以上も前からのファンでCDも4,5枚持っている.だけどその中にこの「胸が痛い」がなぜかないのだ. もう45年位前になるが,初めて憂歌団のコンサートに行ったときは驚いた.確か,できてからそれほど年月もたってない神奈川県民ホール(修正:厚生年金ホールとかだったかも)だったが,ライブハウスでもないのに,観客達の多くは酒,それも一升瓶などを持ち込んで飲みながら聞いているのだ.あっけにとられたが楽しかった. この歌がそのとき演奏されたかは覚えていないが,無性に聞きたくなることが時々あって,そんなときはYoutubeで聞くのだ.

 

 

 

新型コロナ対策と国の借金

1月28日の国際通貨基金International Monetary Fund)の発表によれば,新型コロナ対策のための世界各国の財政出動総額がおよそ14兆ドル,日本円で1400兆円以上におよぶとのこと.経産省の通商白書2020によれば,2019年時点で世界全体のGDPが85.9兆ドルだからざっと世界のGDPの約16%がコロナ対策に費やされたことになる.なんとも凄まじい金額だが,当然のことながら各国の債務残高も悪化している.もともと日本はダントツで世界最悪の借金国なのだが,その債務比率は258%に達したそうだ.

  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210129/k10012838871000.html

 今は新型コロナという国家の非常事態だから借金はやむを得ない,今はそんなことを気にべき時期ではない.そういう意見が多いのだとは思うが,国の財政だって非常事態のはず.目をつぶって国債をバンバン刷り,日銀にもお金を大量に刷って買ってもらい,必要なだけ金を用意して..というわけにはやはり行かないだろう.ネット検索してみれば日本財政の急激な悪化を懸念する記事も多く出てくるが,テレビニュースやワイドショーを見ている限りではほとんどこの話題はでてこない.

https://www.asahi.com/articles/ASN9L2VHLN9JULZU00F.html

テレビコメンテーターの論調は,おおかた「事ここに至っては厳しいコロナ対策をする必要がある.でも経済も大事だから補償も十分に」だ.政権担当者や専門家たちもだいたいそんなこと=誰でも言えそうなことしか言わない.ざっくり大雑把に考えればそうなのだろうが曖昧すぎる.そんな曖昧な方針でこの危機を逃れることができるとは思えない.そんな適当な判断で大概のことは済んできたかもしれぬが,今回はもうだめかもしれない.コロナ禍後,日本は落ちていくだけかもしれない.

 

Iraq今必要なのは,「限りある予算で困窮者に十分な補償をし,かつ死者を最小限にして乗り切るには,どのようなコロナ対策を打つべきか」だろう.別の言い方をすれば,「困窮者に十分な補償するための総額を最小にし,犠牲者も最小にするコロナ対策は何か」だ.そう考えれば,おのずと最善の方針は「最短期間で国内コロナ感染者をゼロに抑え込む.そしてその期間の生活補償をする」以外にないことは明らかだろう.なぜなら,陽性が判明した感染者の周りには症状の出ない隠れ感染者がほぼ間違いなくいて,その隠れ感染者が容易に感染を広げることが明らかだからだ.感染者数が少なくなったからと対策を緩めればまた感染者が増えて,何度も対策を繰り返さざるをえなくなり,コロナ禍の期間が長くなり,感染による死者数も増え,経済的困窮者も,経済的困窮による死者数も増えるのだ.

『短期間でゼロコロナにする.その短期間だけ経済的困窮者に補償する.』

これ以外に方法はない.目標は単純なことだ.あとは,この目標を実現するために具体策を考える.議論が錯綜してしまうためここでは具体策に踏み込まないが,非常事態なのだから常態では考えられない大胆な具体策が必要だ.そのための緊急事態宣言でなければならないだろう.

 

だが,それができるのは,中国のような強権国家だけで民主国家にはできないと言う人がいる.民主主義の国,自由の国で人々の行動を制限することは,私権を制限することはできないと,したり顔で偉そうにのたまう.それはもちろん,嘘だ.

 

私は法律家ではないが,公共の福祉のために基本的人権が制限されうることは知っている.義務教育で習うことだ.もちろん人権にも自然権社会権などいろいろ種類があって複雑で,すべての法律家が同じ考えを持つわけではないらしいが,店を開いて商売する自由や仕事をする自由が「どんな公共の福祉のためであっても侵すことのできない権利」であるはずはないだろう.他の国民の命を奪うことが確実であるのだから,補償を前提として一時的制限することは可能なはずだ.

https://say-g.com/public-welfare-1162

近年の自民党政権,とくに安倍政権とその継承を公約した菅政権は,

 内閣法制局長官の首をすげ替え,国会にもかけずに勝手に集団的自衛権憲法解釈を変え,

https://www.asahi.com/articles/ASP165W7XND1UTFK014.html

桜を見る会の招待客選定にあたって国民を平等に扱わず,また税金を私物化し,

https://mainichi.jp/articles/20200105/k00/00m/010/150000c

野党が要求したら臨時国会を開かなければならない法律があるのに開くことなく,

https://www.asahi.com/articles/ASN8F7DC3N8FUTIL00T.html

日本学術会議の任命問題で「学問の自由」という最も基本的な人権を認めない,

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/372917

 

Iraqなど,明らかに憲法違反か憲法違反すれすれのことを繰り返してきた.これらの憲法違反問題を強行する中心人物であった菅義偉が,このコロナ禍の中で,日本国憲法があるから人々の行動を制限できないなどと言えるはずはないだろう.もしそのようなことを言って何もしないのであれば,明らかな責任逃れ,詭弁,ご都合主義でしかない.

 

我々国民は,選ぶ総理大臣を誤った.直接には国会議員と自民党員が今の首相を選んだのだが,間接的には与党に絶対安定多数を与えることにより我々国民が選んだのだ.買い物でも何でも,選ぶものを間違えたときには,すぐに返品して買い換える必要がある.菅義偉はもういらない.

「陰謀論」と切って捨てる前に..

1月28日(木),朝日新聞の論壇時評に,津田大介が「陰謀論の猛威」について書いている(この地の朝日は13版Sなので東京地区では日付が違うかもしれない).

https://www.asahi.com/articles/DA3S14779614.html

私は,津田大介をジャーナリストあるいは評論家として信頼しており,これまで彼が書くものに疑義を持ったり,内容に同意できないと思ったことはたぶん一度もない.部分的に違和感を持つことすらほとんどないくらいに,安心して読むことができる書き手だと思っている.

 

今回の「陰謀論の猛威」についても基本的に異論はないのだが,一つだけ気がかりな点があった.全体を通して,「陰謀論」はすべて荒唐無稽な誤りと思えるような論調で書かれた印象があるからだ.大手マスコミに書かれたことがすべて正しいと津田が言うはずもないことは分かっている.しかし,例えば,「陰謀論を信じがちなネットユーザーは『自分の意見に合う話題が報じられなければマスコミを批判する』傾向が見られる」という記述は,大手マスコミや世間で正しいとされていることに反対し批判することを封じ込めかねないと感じる.それはまた,欧米と価値観を同じくする先進国の一員とは思えぬほどに低い報道自由度ランキング(2020年は66位.2017年は72位)や,「政府発表報道」に偏っている日本の大手マスコミの現状を肯定しかねない.

https://yorozu-do.com/press-freedom-index/

Iraqそもそも政治世界において陰謀は遍在し,陰謀説を常に誤りと決めつけることはできないと思うのだ.有名なところでは,1976年のアカデミー賞で4部門を受賞した映画「大統領の陰謀」の題材となったウォーターゲート事件がある.当時のニクソン大統領が再選のために民主党本部に盗聴器を仕掛けた事件である.再選のためとはまるで今回のトランプのようだが,米国大統領による陰謀という点で,当時非常に衝撃的な事件であった.

http://www.maedafamily.com/kanren/watergate.htm

もうひとつは2003年に米国のジョージ・ブッシュ大統領が始めたイラク戦争.これはイラク大量破壊兵器核兵器)を隠し持っていることを理由に,イギリスやオーストラリアなど西側諸国を巻き込んだ戦争だったが,戦後調べた結果イラク核兵器は一切なかったのだ.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89

Nixonイラク戦争の開始前,ネオコンに支配されていたブッシュ政権の中心人物であるディック・チェイニー副大統領は「証拠はある」と言いつつも確かな証拠を出すことは結局なかった(コリン・パウエル国務長官が国連安保理で演説し衛星写真を使って説明をした記憶があるが,それは「確かな証拠」とはとてもいえないものだった.パウエル自身,騙されていたのだろうとの報道もある).もうひとりの中心人物であるドナルド・ラムズフェルド国防長官は軍産複合体を体現した人物と言われていた.ブッシュ大統領も含めて,彼らは皆,軍需産業や石油産業に深く関わっていてイラク戦争によって莫大な利益を得たと報道されている.そうであればイラク戦争はまさに彼らの壮大な陰謀だったと言ってよいだろう.

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/title/year/2004/pdf/002.pdf

ブッシュ政権の陰謀の主体となった軍産複合体については,イラク戦争よりはるか前,1961年にドワイト・アイゼンハワー大統領が,その過剰な影響力と危険性について告発している.

http://ad9.org/pegasus/Education/docs/EisenhowerAddressJE.pdf

shock世界各地で行われた新自由主義者ネオリベ)達の陰謀を知るには,ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を読むとよいだろう.チリの軍事政権(1973年),天安門事件(1989年),ソビエト連邦崩壊(1991年),アメリカ同時多発テロ事件(2001年),イラク戦争(2003年),スマトラ島沖地震津波被害 (2004年),ハリケーンカトリーナ(2005年)などにおいて,彼らは大惨事につけこみ急進的な市場主義改革を断行した.福祉・医療・教育などの公共部門を民営化し,社会的支出を大幅に削減し,多くの国民を窮地に追い詰め,「惨事便乗型資本主義」によって特権階級の富を爆増した.日本でも,竹中平蔵らのリバタリアンが,小泉純一郎安倍晋三菅義偉らの政治家を利用して同様の陰謀を試みていると言ってよいだろう.

 

また,大手マスコミにはほとんど登場しないが,戦後何十年もの間ときどき耳にするものとして,日米合同委員会がある.この委員会は1960年に締結された日米地位協定の運用を協議する非公開の日米間実務者会議で,省庁から選ばれた官僚と在日米軍のトップが月に2回協議を行うらしい.問題は,政治家が参加しないにも関わらず,ここで日本の基本政策の多くが決められるというのだ.にわかには信じがたいのだが,小泉政権も安倍政権も,長期に渡る政権の主要な政策はこの場で米国から要求されたものがほとんどで,要求に逆らう政権は短命に終わるのだという.真偽のほどは定かでないが,例えば,田中角栄が失脚したのも,鳩山由紀夫が追い詰められたのも,米国の逆鱗に触れたからだとの言説を聞いたことがある(鳩山自身,後に自分は日米合同委員会の存在を知らなかったと述べている).

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53252

https://news.livedoor.com/article/detail/16630442/

https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/page=3996/

 この件については,私もすべてを信じ切る自信はないのだが,ある一つの不思議な経験からあり得るとは思うのだ.それは,2012年に民主党政権が終わった時のこと.民主党が政権についている間,沖縄基地問題オスプレイ問題,フクシマ原発問題,消費税増税問題などについて,自民党やマスコミに厳しく批判されていたが,その情報源は政府内部つまり官僚達からのリークではないかと思えた.しかし,政権が自民党に代わったとたん,沖縄基地も,オスプレイも,フクシマも,国の財政も,どの問題も解決したわけではないのに,政策が大きく変わったわけでもないのに,マスコミ批判が激減したのだ.保守系のメディアだけでなく,リベラル系と見られるメディアでも.当時はマスコミの露骨な自民党びいきかとも思ったが,米国の意向に沿って官僚達が動いていたのだと考えれば説明がつく.そうだとすれば,これは官僚たちの「陰謀」ということになる.

 

私の知っている範囲でいくつか例を挙げてきたが,要は,政治の世界に陰謀は遍在する.ここでは述べなかったが,NSA(米国国家安全保障局)の職員でありながら米国による国際的盗聴を告発しロシアに亡命したエドワード・スノーデンや,政府等の機密情報を暴露するウィキリークス編集長として様々な国際賞を受賞したにも関わらず米英の政府に追われているジュリアン・アサンジの例もある.米国はかつて,反米国のトップの暗殺や誘拐を何度も試みてきた(例えば,リビアの最高指導者カダフィ大佐の暗殺未遂やパナマのノリエガ大統領誘拐など).アジア,中近東,アフリカ,南アメリカなどでも,権力争いのあるところでは数多くの陰謀があったはずだ.インターネット上には,確かに荒唐無稽な陰謀論がたくさんあるのだが,それらすべてを「陰謀論」と切って捨てるようでは道を誤ることもあるだろう.少なくとも,陰謀論=嘘,と決めつけることはやめたほうがいい.

 

そしてことは政治だけではない.一見科学的なことがらでも,そこにムラがあればムラの利益や既得権を守るための陰謀がありうる.原子力村,地震予知村,がん検診村,メタボ村,そして気候科学村.特に,政治や行政と結びつき,権力と大きな予算がついている科学者村は危ない.私の経験では,科学者村は権威づけと予算獲得のためにいとも簡単に「方便」を使い,政治や行政の道具になりきるからだ.

http://kjs.nagaokaut.ac.jp/yamada/info/science.pdf

風景:ツーリングに出ると口ずさんだ歌

20代半ばから30代前半にかけて,バイクでよくソロツーリングにでかけた.とくに,5月の連休と夏休み − いつも8月末か9月上旬だった − には1週間かそれ以上の休みをとって,ロングツーリンツにいくのが常だった.北海道,東北,北陸,近畿,四国,中国,九州... 山口県沖縄県を除くすべての県に足を踏み入れたのではないかと思う.(富山など,通り過ぎただけの県があるかもしれないが,赤信号で止まるときには足をついている...)  srx-yamaha.jpgその頃のツーリングは,ほとんど1日中走るだけのようなものだったが,ヘルメットの中でつい口ずさんでしまうのが,ザ・ディランII大塚まさじ)の「風景」だった. 懐かしいその歌をYouTubeで見つけたので,2つ,貼っておく.当時,ぼくがレコードでよく聞いていたのは,ザ・ディランⅡの方だ.

 

ザ・ディランⅡ 風景

 

大塚まさじ 風景

若い人たちの高い政権支持率

コロナ禍の行く先が全く見通せない中,さすがに菅政権の支持率も落ちてきた.官房長官として,また政府報道官として安倍政権を支えてきた菅義偉をニュースで見ていた私としては,政権に批判的な質問に対する不誠実な回答ぶり,意に沿わない官僚の冷遇,報道機関への恫喝など,とても総理大臣として支持できる人間ではないと思っていた.しかし,政権発足当初は日経新聞で74%,朝日新聞でも65%と,信じがたいほどに高い支持率が報道され,ため息をつくだけだった.テレビでは,秋田の農家出身だから信用できそうなどという街角インタビューが流れていた.

 

2020/09/17 日経新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63999770X10C20A9MM8000

2020/09/17 朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASN9K74T0N9KUZPS001.html

 

政権発足後しばらくして日本学術会議問題や桜を見る会の再燃などがあったものの,日本国民の大半は,民主主義の原則である学問の自由が侵されることや,公金の不正支出にとても寛容であるらしく,11月の時点では,依然として60%を超える高い支持率を維持していた.支持率が下がってきたのは11月末頃,新型コロナの第3波が立ち上がってきた頃である.12月上旬の毎日新聞によれば,1ヶ月で13%近く落ちている.年が明けた今は,30%代にまで落ちているようだ.

 

2020/12/06 毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20201206/k00/00m/010/154000c

 

さて,菅政権の支持率推移を調べていたら,社会調査研究センターの年齢別支持率データが出てきた.

 

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000056820.html

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000056820.html

 

これを見て改めてため息をついたのは,若い人ほど菅政権を支持する人が多いという事実だ.もうずいぶん前から「若い人たちが保守化している」とは言われていたが,10代から20代の11月の菅政権支持率(80%)は驚異的ですらある.この傾向そのものは安倍政権のときもそうだったし,過去を思い出せば小泉政権(2001-2006)のときもそうだったから驚きはしない.が,絶望的な気分になる.自分と同年代や年上の糞ジジイについてはもう諦めている.年下の40代,50代は,長いものに巻かれずに生き延びることの厳しさを身にしみて感じているだろうから,仕方がないかとも思う.でも,30代ならまだ逆らう元気ぐらいあっていいんじゃないか.20代ならこの世界をぶち壊すぐらいの気持ちがあるはずだろう.こんな生きにくい,先の見えない,人を出し抜いたものだけが勝ち残る世界でいいのか,一見安定しているように見えても,一つ間違えて事故にあったり病気になったらどうなるかわからない世の中でいいのか,と思わないのだろうか.

 

自分たちが騙されていることに気づいてほしい.人々を騙す人たち,つまり小泉純一郎安倍晋太郎菅義偉とその仲間たち(例えば,竹中平蔵などのリバタリアン=超新自由主義者)は,【改革】という言葉をよく使うだろう.君たちは彼らが言う【改革】の意味を分かっているか? それは,人々=庶民が希望する教育を受け,貧困から脱出し,自由で文化的な生活を送ることができるようにする,という改革ではない.彼らが行おうとする改革は,生まれながらに恵まれた人々が,つまり金持ちの家に生まれた恵まれた人間が,特権的に恵まれた教育を受け,恵まれた仕事と恵まれた生活をし,弱者や社会を守ることなんて忘れて,好きなように自由に金を儲けられるように,【社会を変える】ということだ.「既得権を壊す」などという言葉に騙されてはいけない.それは,弱者(労働者や母子家庭や失業者など)を守るために作られた様々な制度を壊すことを意味している.

 

ステレオタイプ・リベラル,つまりちょっとよい教育を受けて,平均より少し高い収入を得て,気分だけリベラル,カッコで環境問題やLGBTやBLMやグローバリズムポリティカル・コレクトネスを語る人々は,本当の自由(Liberty)の意味を分かっていない(LGBTやBLMが大切でないと言っているわけではない.カッコで適当に語るなということ).そうした人々は,なぜアメリカ中西部の白人庶民がトランプなどという異様な人を支持したのかを考えずに,トランプと一緒に支持者達をバカにしたりする.

 

liberty今,仕事があって,贅沢はできないけれど週末には友達とガストで外食したり,部屋で飲んだりして楽しい.ときには居酒屋にも行ける.貯金はほとんどなく安定しているとは言えないし,10年先のことは不安だけれど,友達といるときは充実している.そんなふうに生活している若い人は大勢いるだろう.そんな彼らに言いたいのは,それが当たり前と思ってはいけないということだ.それで満足して現政権を支持したり,自民党を支持してはいけない.今の君達の不安定な生活を作ってきたのは,他ならぬ歴代の自民党政権なのだから.本当の自由=生きる権利=Libertyを求めようよ.

香港の民主化運動

今日も朝から雪が降っていたが,昼過ぎに少しだけ青空が広がった.でも,気がつけば,今はまたどんよりと曇っている.裏日本(*)の天気はほとんどいつもこのようにコロコロと変わる.そんなわけで,出かけるときは晴れていても,いつも折りたたみ傘を持って出る習慣がついた.

 

(*)放送禁止用語になってしまったようで,昨今ほとんど聞かなくなったが,この言葉が持つもの悲しいイメージが私は好きでよく使う.差別用語とも言われるが,差別は言葉を使う人の意識の中にあるもので,本来,言葉に責任はないだろう.

 

http://monoroch.net/kinshi/

 

例えば,「めくら」や「つんぼ」,「片ちんば」という言葉が差別的だとの理由で,私が子供の頃に「身体障害者」という言葉に置き換えられた.さらに「害」という字が差別的だとかで,今では「碍」とかひらがなで「がい」と書くようになった.次のような見解もあるので一概に否定はしないが,人々の中に差別意識がある限り,同じような言葉狩りは何度も起きるだろう.現に,「〜が不自由な方」というべきだという話まででてきている.

 

http://www.rehab.go.jp/rehanews/japanese/No226/5_story.html

 

さて,私は,裏日本のこのような天気が嫌いというわけではないのだが,極端な寒がりなので冬はけっこうつらい.定年後はこの地を離れると決めていたのは,それが最大の理由である.

 

話があちこちに飛んでしまうのだが,昨年末,香港の活動家の一人である周庭が,殺人や薬物犯罪などの重罪犯の刑務所(大欖女子懲教所)に移送されたとのニュースがあった.移送前の刑務所でも寒くて面会時には服を7枚も着込んでいたとのことだが,移送後の刑務所は「背後に山を控え、海風が吹きつけるという厳しい環境にある」から,おそらくは相当に厳しい環境に置かれているだろう.民主運動家達に対する見せしめとはいえ,日本の感覚で言えば,たかだか大規模デモを率いただけであまりにもむごい仕打ちと言えるだろう.しかも,香港の若い人たちは,つい数年前まで,日本のように自由な環境で育ってきたのだろうから.

 

https://blogos.com/article/510368/

 

リーダーの一人である黄之鋒も同様な重罪刑務所に送られているらしい.今年に入ってからは民主活動家を50数名逮捕というニュースもあった.香港政府,というより中国共産党民主化運動への締め付けはいっそう強まっていて,今後緩くなる気配はまったくない.おそらくは,香港の中国化と習近平の独裁化はさらに激しくなっていくだろう.そしておそらく,黄之鋒や周庭が望んだ香港が戻ってくることはない.約1年後,刑期を終えた二人が自由になる保証はまったくなく,別の罪でさらに長い刑期を受けなければならないかもしれない.獄中でノーベル平和賞を受賞しそのまま獄中死した劉暁波の妻のように,自宅軟禁に置かれるかもしれない.

 

https://www.asahi.com/articles/ASM775CQCM77UHBI019.html

 

fusan.jpg私は,2008年に一度だけ仕事で香港に行った.香港島ビクトリア・ハーバーあたりから対岸をみた風景は印象的だったし,鯉魚門の海鮮料理屋で食べた大きなシャコは大変においしかった.バスの中で降りる場所を教えてくれた若い女性も親切だった.中国本土にはあまり行く気がせず,正直に言えば避けていたのだが,2019年にやはり仕事で成都大学に行くことになった.こちらのこわばった気持ちとは関係なく,招待してくれた先生たち,案内役の学生たちはとても親切だった.人々は,知り合えば,皆,親切なのだ.それなのに,異なる国の人々を分け隔てるのは,やはり政治,その国を支配する権力者達の責任といってよいだろう.

ポリコレとリベラルと表現の自由

今日,このようなタイトルで書いてみようかと思ったのは,写真家,ヘルムート・ニュートンを描く映画の評を読んだからだ.

https://www.sankei.com/entertainments/news/201206/ent2012060002-n1.html

実は,私も彼を詳しく知っているわけではない.しかし,ヘルムート・ニュートンという名を見たとき,一昔前のアメリカの高級ファッション誌で見るようなクールで少しエロティックな写真を撮る人だったかな,というおぼろげなイメージが浮かんだのだ.おそらく,少年の頃に何度か見て,強烈な印象を得ていたに違いない.Googleで画像検索をしてみると,はたして,思ったとおりであった.

https://www.google.com/search?q=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3&tbm=isch&ved=2ahUKEwjWl92fg6DuAhVMWpQKHbAFBo0Q2-cCegQIABAA&oq=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3&gs_lcp=CgNpbWcQAzIECCMQJzICCAAyAggAMgIIADICCAAyAggAMgIIADICCAAyAggAMgIIADoECAAQGFCnBljCD2C0E2gAcAB4AIABfogBuwOSAQMxLjOYAQCgAQGqAQtnd3Mtd2l6LWltZ8ABAQ&sclient=img&ei=fqICYNbgIMy00QSwi5joCA&bih=664&biw=1259&rlz=1C5CHFA_enJP735JP735&safe=active

これらの写真に,私と同年代の男たちは今でもカッコイイと思い,少し懐かしさを感じるのではないだろうか.プレイボーイとか平凡パンチとか,昔の青少年向け雑誌に掲載されていたヌード写真や,オヤジ用週刊誌のエロ写真とは全く違う,そうした用途には全く向かないヌード写真.一味違う知性を感じさせる,でも少年にとっては,やはり見つめているところを見られたら恥ずかしいという思いを起こさせる写真であったろう.

ヘルムート・ニュートンは,冒頭の映画評にもあるとおり,米国のモード誌「ヴォーグ」でお馴染みだった写真家である.ぼくのやはりおぼろげなイメージでは,ヴォーグはニューヨーカーと並んでハイセンスな歴史のある雑誌で,アーウィン・ショーの短編小説「夏服の女たち」(常盤新平訳)に出てくるようなオシャレで知的な女性が登場する.そんなオシャレな雑誌に掲載されていたカッコイイ写真が,ポリティカル・コレクトネスを心配する時代になったのだ.

ポリティカル・コレクトネス.この言葉を口にして何かを批判する者,あるいはこの概念を大切にする者の多くは,いわゆるリベラルを自認する人々だと思う.でも彼らがヘルムート・ニュートンの写真を批判するとして,彼らはこれらの写真のどこに「正しくない」と感じるのであろうか.男達の大半はこれらの写真から性欲を感じない.少なくともダイレクトには感じない.だから,性欲をいたずらに助長するわけではない.常人であれば隠しておきたいであろう女性の体の部分をあらわにするからか.それを商業誌に載せることは性を商品化しているからか.あるいは,女性だけをそのような被写体とすることは男女差別だからか.隠すべき部分をあらわにし,女性のみを対象とし,それを商業誌に掲載していることは事実だ.だがそれが差別であると断定するのには飛躍があるのではないか.例えば,差別とは明らかに違う異性への憧れ,あるいは畏敬の念だとしたら,それでも社会的に批判されるべきものなのだろうか.

リベラル.一般的には自由主義的,進歩的と訳されるが,言葉としてはLiberty(自由,解放)の形容詞あるいはそれを信じる人を意味する.自由とはいってもフリーダム(freedom)とは異なる.リベラルの概念は西洋における革命,例えばフランス革命と結びついている.それは,王政,専制,独裁,宗教,貧困,無知からの人々(民衆)の解放=自由を意味している.封建時代から近代(モダン)への転換を押し進める力がLiberty であったわけだ.もちろん,思想・良心・表現・学問の自由は,このLibertyの一部である.だとするなら,ヘルムート・ニュートンの写真は,このLibertyの例外とするほど,政治的・社会的に許されざるものなのだろうか.リベラルを自認する人々が,ポリティカル・コレクトネスを掲げてヘルムート・ニュートンを非難するのは,この質問にYESと考えているからなのだろうか.

私は自分自身をリベラルと位置づけている.しかしいわゆるリベラルの大勢といつも同じ考えを持つわけではない.LGBTを差別するつもりはないが,現時点では,無条件にLGBTを第三の性として社会的制度・システムに組み込むことには消極的である.LGBTという存在あるいは現象が,生物学的なものか,生理的なものか,心理的なものか,明確でないからである(それを科学的に明らかにし解決しようとする努力が,この社会にはないように見える).人為的地球温暖化説にも疑問を持っている.個人的に人為説と懐疑論の両方を数年間調べてみた結果(科学論文もかなり読んだ),人間が排出する二酸化炭素等の温室効果ガス説よりも太陽活動に起因する宇宙線説のほうが,はるかに説得力があり科学的に事実を説明できると考えるからだ.

http://kjs.nagaokaut.ac.jp/yamada/info/globalwarming.pdf

保守かリベラルか.あるいは,右か左か中道か.SNSの時代になってから,世界が政治的に分断されただけでなく,社会的・文化的・科学的・生活的であったはずのものまでが政治化され,同じように分断されるようになった.そのことが非常に悲しい.せめてリベラルを自認する人たちや,良識を持つ保守の人たちには,異なる意見の人の言葉に耳を傾け,知らないことは勉強し,是々非々でものごとを判断してほしいと願っている.