霞喰人の白日夢

霞を食べて生きていけたら..

追記:森喜朗の発言とその顛末

2月13日に書いた記事「森喜朗の発言とその顛末」に以下の内容を追記した.

https://mistydream.hatenablog.com/entry/2021/02/13/194937

 

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森喜朗が五輪組織委員長を退任した後,紆余曲折はあったが橋本聖子が五輪相を退任して後任を務めることになった.橋本がそれまで務めていた五輪相の椅子には自民党議員の丸川珠代がつき,小池百合子東京都知事を含めて,女性3人が東京五輪の要職を占めることになった.世界に向けて人事の絵面だけは今どきになったが,果たしてこれで問題は解決したのだろうか.主要マスコミやインターネットで森前組織委員長を"女性蔑視"と叩き,女性を抑圧する日本の"男性社会"を糾弾していた人々は万々歳と手を叩き,溜飲を下げ,これで満足したのだろうか.

橋本聖子森喜朗に育てられ,森を「政界の師」とし「父」とする政治家である.裏で森喜朗菅義偉が糸を引くには絶好の人事であったろう.

https://critic20.exblog.jp/32002848/#32002848_1

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丸川珠代は2007年の参院選に出馬した悪評高い「安倍チルドレン」かつ「安倍ガールズ」の一人だ.しかも戦前の政治体制を美化する右翼タカ派達が集まる「日本会議」の会員であり,自分が所属する組織(自民党)のために国会内で薄汚い野次をよく飛ばす.

https://news.yahoo.co.jp/articles/47582c4a89f748844619554b5fbcaf06379b49ec?page=2

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小池百合子についてはいまさら書くまでもなかろう.何度否定してみせてもぶり返すカイロ・アメリカン大学の学歴詐称疑惑.人気絶頂だった2017年9月,「希望の党」の結成時に合流することになっていた旧民進党の左派を「排除いたします」とテレビで宣言してみせる冷酷さ.時の権力者たち(細川護熙小沢一郎小泉純一郎)に取り入って政界をのし上がり,利用価値がなくなれば容赦なく見捨てるジジ殺しぶり.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B1%A0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90

こんなろくでもない女達が3人で仕切る東京五輪である.日本にはもっと人間的にも能力的にも素晴らしい女性がたくさんいるだろうに..こんな人事に騙される人々がいるなら呆れるばかりである.

コロナ禍と大学のオンライン教育

内田樹が,ブログ「コロナが学校教育に問いかけたこと」でオンライン授業について書いている.コロナ禍の渦中にあって大学教員たちは好むと好まぬに関わらず,手探りで慣れないオンライン教育に追い込まれた.そしてその予期せぬ結果として,授業からの学生たちの脱落が激減したという.課題を提出する学生数が前年度を上回り,平均点も上がり,オンライン教育は思いがけずに成功したと大学教員たちからの伝聞として述べている.

http://blog.tatsuru.com/2021/02/21_0910.html

おそらく,内田樹の周りの大学教員たちと今年3月まで工学部教員である私では,教える分野も授業の仕方も大きく違うだろうと思うが,例年に比べて学生たちの成績が目に見えて上がり,単位を落とすものが激減したという点では同様の経験をした.

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その成功の理由について,内田樹は,大教室での授業と違ってオンライン授業ではメール等で個別にメッセージを送ることができ,欠席者にも資料や課題を伝えられるようになったことで,教員に個体識別されているという社会的承認を学生たちが得たからだろうと論じる.そうした面も確かにあるのだろう.だが,昨年私が担当した授業の中で目に見えて成績が上がったのは学生数が毎年10数名しかいないクラスであった.そんな少人数のクラスでも同じ現象が起きているのだから,個体識別による社会的承認によって勉強意欲を維持できたことだけが成功の原因とも思えない.参考情報として述べておくと,昨年4月以降に私が行った授業は4つで,それぞれの人数は,少ない方から10数名(学部1年),40名前後(学部3年),約70名(大学院),約200名(大学院)であった.大学院講義でこれだけ人数が多いのは,昨今流行りの人工知能機械学習関連の授業であるために他専攻の履修者が激増しているからである.

学生たちの成績向上に関して私が考えた主な理由は3つある.一つは,パソコンの前で目に見えない学生たちに講義する教員達が,教室で講義するときよりも丁寧な説明をしたのではないかということ,2つめは,遠い教壇の上でからではなく目の前のパソコンから声が出て資料も示されるため,対面感があって集中できたのではないかということ.3つめは,例年ならサークル活動や社交で忙しく勉強が疎かになりがちな学生たちが,今年は時間を持て余して十分に勉強したのではないかということである.

教員が丁寧な講義をした点については,私自身いつもより丁寧に説明しているという自覚があった.パソコンの画面(Zoom画面)では学生たち全員の顔を見渡すことはできない.だから学生たちが説明を理解したかどうかわからないという不安があって,無意識のうちに丁寧で分かりやすい説明になったのだろう.いつもならだいたい早く終る講義が,時間ギリギリまでになることも多かった.

2つめは,本人に勉強しよう,理解しようという強い意思があり,スライド資料をパソコン画面に表示して講義する場合に限られるかもしれぬが,遠くの黒板や白板より眼前のパソコン画面のほうが視野角が大きく,ヒューマンインタフェースで論じられる臨場感が高まり,その結果対面感も強くなって集中しやすくなったと考えられる.声が近くで聞こえるということも大きいだろう.

最後の勉強時間が十分にあったことについては,もしこれが原因の一つだとすると,成績向上の大きな代償として楽しい学生生活を失ったことになる.世の中には,大学に支払う授業料は,知識教授や教育・訓練だけでなく,クラブ・サークル活動や友達づきあいといった大学生活を享受することへの対価でもあるとの主張が見られる.私はその主張には賛成できないけれど,大学が勉強や研究だけでなくサークル活動や友人づきあいを通して視野を広げ,人生の基礎となるものを培うところであることは否定しない.だから,過去1年間,新型コロナで大学生活を台無しにされた学生たちを本当に気の毒に思うが,そのことから学ぶことも得ることもたくさんあるはずだったと思うのだ.コロナ禍に大学生だった者たちは,そうでなかった者たちよりよく勉強・研究し,より優秀な人間になれる可能性がある.社会や人生について深く考えるきっかけを得て,よりよい人生を送れる可能性だってある.もしそのようなきっかけを得たとすれば,1年間のオンライン授業で失ったものをはるかに超える果実を得たと言えるだろう.

あらゆる時代のあらゆる人生において運・不運はつきものだ.そして,人生に影響を与えたと思えるできごとが − それが楽しいものであろうと苦しいものであろうと − 幸運だったか不運だったかは後になってみないとわからない.それどころか,日常のできごとの中のどれが人生に大きな影響を与えるかすらも事前にはわからない.起きたことが自分の将来にどのような影響を与えるかは,環境だけでなく本人の考え方や選択や努力にも依存するし,本人への依存割合は時間があるぶん若ければ若いほど高い.だから,このコロナ禍が苦しくて,それを悲しんでも,不運を嘆いてもいい.でも努力をすることは続けよう.そして絶望を感じることだけはやめよう.

福島原発の今と将来

昨日2月19日,東京電力が福島第1原発1号機と3号機で格納容器内の水位が数十センチ低下したと発表した.13日の福島県沖の地震の後で起きたらしく,東電は配管の損傷が広がったためと見ているようだ.

https://www.excite.co.jp/news/article/Jiji_20210219X758/

緊急を要する事態ではなさそうだし小さなニュースではあるが,もしこのまま水位が下がり続けたら..などと考えたら,なんだか絶望的な気分になってしまった.そこで,改めて福島原発の今と将来を簡単に整理してみたい.

まず思い出さなければいけないのは,2011年3月11日に出された以下の「原子力緊急事態宣言」だ.

https://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/kinkyujitaisengen.pdf

この緊急事態宣言はたぶん今も解除されていない.「たぶん」と入れたのは,あまりにもこの宣言が話題にならないためひっそり解除されてた,なんてことがあるかもしれないと思うからだが,東京新聞の記事によれば少なくとも2020年6月30日時点では解除されてない.だから今も解除されていないといって間違いないだろう.

https://www.tokyo-np.co.jp/article/38847

しかし今,この緊急事態宣言を意識して生活している人,それ以前にそのことを知っている人はどれだけいるだろうか.新型コロナの緊急事態宣言とその解除についてはテレビや新聞で大騒ぎをしている.でも原子力緊急事態宣言については皆忘れているようだ.緊急事態宣言だけではない.2020東京五輪パラリンピックの原点が『復興五輪』であったことも皆忘れかけている.

https://www.reconstruction.go.jp/2020portal/reconst-olympic/

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/pdf/20200825fukkou_olypara.pdf

五輪誘致時の首相だった安倍晋三を継承したはずの現首相・菅義偉ですら,もう『復興五輪』とは言わずに,『コロナに打ち勝った証としての五輪』だと言い出している.

https://mainichi.jp/articles/20210220/k00/00m/010/015000c

結局,福島の人を除けば,ほとんど誰も原発のことなんか気にしていないように見える.でもだ.福島第一の廃炉までの道のりは想像を絶するほどに厳しいのだ.昨年暮れには,2号機でのデブリ(溶融燃料)取り出し作業開始の延期が発表されている.

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGG241P00U0A221C2000000/

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東電は1年延期と言っている.でも多少なりとも原子力事故の厳しさ・怖さを想像できる人なら延期はやっぱりねと思うだろうし,1年延期で済むわけないとも思っているだろう.1979年のスリーマイル原発事故(米国)でも,そして1986年のチェルノブイリ原発事故(旧ソ連,現ウクライナ)でも,その後にデブリが取り出されたことはない.どうやって大量のデブリを取り出すかも,最終的に取り出せるかどうかも本当のところはわかってないのだ.だから2050年頃までの廃炉計画も,結局は大本営がたてた机上の空論でしかないのだろう.

http://umaebina.com/fukuichi-2019

https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2020/03/story/20200304_story/

https://www.asahi.com/articles/ASN1Q5W0TN1NULZU00S.html

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デブリに含まれる放射性物質の種類について,私はよく知らない.しかしよく耳にするセシウム137やストロンチウム90だけであればその半減期は約30年,もしプルトニウム239が含まれているなら約24000年だ.もし高い放射線を出すデブリを取り出すことが人間にとって不可能な作業であるなら(その可能性は十分にあるし,私は無理なんじゃないかと思っている),少なく見積もっても100年以上,もしかしたら10万年以上,ずっとこのまま壊れた福島原発に大量の水を注入し続け,冷やし続けなければならないことになる.地震,台風,津波といった自然災害が頻発するこの日本で,そんなに長期間,絶えず大量の水を注入し続けることは果たして可能なのだろうか.もし不可能だとしたら...

加川良のコンサート

今日のYouTube音楽は加川良.自分自身の成長とともに,といってよいかどうかはわからないが,自分が生きてきたその時々で好きな歌手は変わる.大学生の一時期,大塚まさじとともに最も好きだった歌手,というか好きだったシンガーソングライターが加川良で,今に至るまでずっと,時々聞きたくなる歌手である.大塚まさじのコンサートは下北沢ロフトの場合が多かったが,加川良は吉祥寺のライブハウスだった.70年代の終わり頃だからすでに人気だった時期は過ぎていて,ハウスが満席という訳にはいかなかった.でも私は毎月購入していたぴあで加川良の名前を見つけるとでかけていた.

コンサート中に酒を飲んで寝てしまうというと高田渡が有名だが,その頃,加川良もかなり酒を飲んで寝てしまうことがあった.そんな彼ももうこの世からいなくなった.それでも私はときどきこうしてYouTubeを見るのだ.

好きな歌がたくさんあって選べないので,コンサート録画の動画を貼っておく.

 

Ryo Kagawa Concert Live at the University of Chicago / 加川良 ライブ in シカゴ

加川良 LIVE in TOKUZO 2008 02 02 壱

加川良コンサート

森喜朗の発言とその顛末

2月3日の森喜朗JOC臨時評議員会での発言から10日過ぎたが事態はまだ収拾していない.発端は森喜朗個人のしょうもない(あるいは許しがたい)発言であるが,この騒動の中で様々な日本社会の嫌な側面を見てしまったようでとても後味が悪い.少し食傷気味であるが振り返ってみたい.

森喜朗の3日の発言は以下のWebページで確認することができる.

森喜朗会長の3日の“女性蔑視”発言全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2148b9c62351b9b54bff6338dbc4d8ac6cd9af8

その場にいたら,まず「いったい何を言いたいんだこいつは..」と私は思っただろう.それが率直な最初の感想だ.失笑しているかもしれない.海外メディアや一部の人々が「笑いが起きた」ことを取り上げ,そのことで参加者の男性の一部が森喜朗に同調したかのように述べていたが,それには同意できない.笑い声があったとすればそれは失笑であった可能性も高いし,失笑や冷笑が同調であるはずはなからだ.まさか失笑が日本人だけの文化ということもないと思うのだが.

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そしてたぶん,失笑後に思うのは「森喜朗はなんらかの理由で女性を理事にしたくないんだろう」である.上記Webページの発言をよく読めばわかるように,発言内容は必ずしも「女性蔑視」と断言できる程に強い差別感を出しているわけではない.だから,海外メディアだったと思うが「抗議しないのは同意と同じ」という反応には強い違和感を持つ.おそらくその記者は森喜朗発言のすべてを聞いたわけではなく,「女性蔑視発言」あるいは「女性差別発言」という報道のキーワードに反応したのだろう.

また,たとえ森喜朗の発言が明々白々な「女性蔑視」であったとしても,日本の古い組織文化内で長年生きてきた者であれば − 忖度を身に着けなければ生きていけない組織であれば − 男であろうと女であろうと簡単にはトップに抗議はできなかったろう.私がその場にいたとしても,日本の役所の古い組織の怖さと虚しさを見聞きしている身としては,その場で抗議しようなどとは決して思わないだろう.虚しい試みに終わるだけだからだ.

「女が皆話が長いわけじゃない」,「話の長い男もいる」,「優秀な女は大勢いる」に至っては,内容は正しくても反論になっていない.森はそのようなことは一切言っていないのだから.彼が言ったのは,要約すれば「女性は競争意識が強くて,一人が発言すると皆が競って発言しようとする.だから会議が長引く」である.この発言が正しいとは決して思わないが,これを「女は話が長い.だから女は能力がない」という発言であるかのように曲解し,「女性蔑視」という強い表現で報道するのも明らかな誤りである.そこには報道した人間によるバイアスが入っていると言わざるをえない.

だが,私にとって上記のこと以上に後味が悪かったのは,マスコミとネット民たちが鬼の首を取ったかのようにピントはずれな批判で騒いだこと,そしていつもなら政治家達の不祥事には口をつぐむスポンサー企業が,海外メディアの反応に恐れをなし,皆で手を繋げば怖くないでという感じで,相次いで恐る恐る批判の波に乗ったことである.束になっての批判の嵐に,私は打落水狗を見るような息苦しさを感じたのだ.適切な例えではないかもしれないが,店先の魚を盗んで追われた野良犬が水に落ち,その犬を水に沈めようと皆が寄ってたかって殴打している...権力を持つ森喜朗を野良犬に例えるのは違うという意見があるとも思うが,束になっての森叩きの中で,森喜朗は野良犬のようにすら見えたのだ.

今回の騒動は,女性蔑視という文脈ではなく,上意下達型の古い日本型組織の価値観と民主的ボトムアップ型の現代的価値観との対立として理解する方が適切に思える.古い日本型価値観を男,現代的価値観を女として見れば女性問題として理解できると思うかもしれぬが,それは問題の一面しかみてないことになるし,本質を知ることはできない.

つまりこういうことだ.森喜朗は上意下達型の古い組織内で育ち,生きてきた人間だ.だから「組織委員会のトップは俺なのだから,俺が政府やIOCと相談して意思決定をする.組織委員会はそれを認める場であって,俺が決めたことに異議や意見を言う場ではない」と思っていても不思議はない.このような古い上意下達型組織の会議では,発言はほんの短い質問だけである場合がほとんどで,しかも発言者は申し訳なさそうに聞かなければいけない.例えば,「会長の決定に異議があるわけではありませんが,ちょっと私の知識不足でわからない点がありまして一点だけお伺いしたい.」のようにだ.組織委員会に選ばれるような参加者達(ジジイ達.一部ババア達)は、皆そういうことは分かっている.だから,「私どもの組織委員会にも,女性は何人いますか,7人くらいおられますが,みんなわきまえておられます」という発言になる.そのことを分かっていないのは新参者,多くは抜擢された(ジジイ達より)若い者や,組織外で活躍してきた者である.そして最近の「女性活躍社会」では,それらは女性である場合が多い.おそらく森喜朗はそうした新参者の忖度のない発言にうんざりしていたのだ.ただ,言語能力・説明能力に乏しいから,単純に「女性は..」とやってしまったのだろう.だから,森喜朗にしてみればわきまえてない新参者の一例として女性を挙げただけであって,「女性を蔑視しているつもりがない」という言い訳はおそらく本心なのだろう.

結局,政府や役所さらには自民党のジジイたちの古い日本型組織の価値観を変えなければ,あるいはそれらを追い出さなければ何も変わらないのだ.自民党の女性議員のように,役所の審議官や局長に上り詰めた女性官僚のように,権力を持つジジイたちに従順な女兵士やジジイ殺しとしてのし上がってきた女達を何人登用したって,彼女たちはジジイと同じ穴のムジナ.何も変わらないのだ.

 

========= 2021/02/22 追記 ======

森喜朗が五輪組織委員長を退任した後,紆余曲折はあったが橋本聖子が五輪相を退任して後任を務めることになった.橋本がそれまで務めていた五輪相の椅子には自民党議員の丸川珠代がつき,小池百合子東京都知事を含めて,女性3人が東京五輪の要職を占めることになった.世界に向けて人事の絵面だけは今どきになったが,果たしてこれで問題は解決したのだろうか.主要マスコミやインターネットで森前組織委員長を"女性蔑視"と叩き,女性を抑圧する日本の"男性社会"を糾弾していた人々は万々歳と手を叩き,溜飲を下げ,これで満足したのだろうか.

橋本聖子森喜朗に育てられ,森を「政界の師」とし「父」とする政治家である.裏で森喜朗菅義偉が糸を引くには絶好の人事であったろう.

https://critic20.exblog.jp/32002848/#32002848_1

丸川珠代は2007年の参院選に出馬した悪評高い「安倍チルドレン」かつ「安倍ガールズ」の一人だ.しかも戦前の政治体制を美化する右翼タカ派達が集まる「日本会議」の会員であり,自分が所属する組織(自民党)のために国会内で薄汚い野次をよく飛ばす.

https://news.yahoo.co.jp/articles/47582c4a89f748844619554b5fbcaf06379b49ec?page=2

小池百合子についてはいまさら書くまでもなかろう.何度否定してみせてもぶり返すカイロ・アメリカン大学の学歴詐称疑惑.人気絶頂だった2017年9月,「希望の党」の結成時に合流することになっていた旧民進党の左派を「排除いたします」とテレビで宣言してみせる冷酷さ.時の権力者たち(細川護熙小沢一郎小泉純一郎)に取り入って政界をのし上がり,利用価値がなくなれば容赦なく見捨てるジジ殺しぶり.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B1%A0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90

こんなろくでもない女達が3人で仕切る東京五輪である.日本にはもっと人間的にも能力的にも素晴らしい女性がたくさんいるだろうに..こんな人事に騙される人々がいるなら呆れるばかりである.

シカゴ・バウンド(憂歌団)

今日は,憂歌団のシカゴ・バウンド.
本場のブルースが好きな人ならシカゴ・バウンドというと,たぶんJimmy Rogersなんだろうと思うのだが,だぶん日本では憂歌団の方を思い出す人が多いと思う,次のURLはJimmy RogersのChicago Boundの動画.
https://www.youtube.com/watch?v=OeCm_1jwPh8

 

同じ曲名なのだが,実は2つは全く違うブルース.憂歌団のシカゴ・バウンドは作詞・作曲とも日本人だからね.ぼくはどちらも好きなんだけれど,大好きなのは憂歌団のほう.しばらく前に「胸が痛い」という曲を載せたけれど,それと同じぐらい大好き.以下に貼っておく.内田勘太郎の泣くようなギターも印象的.

 

ウイグル族に対する民族浄化

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中国が自国民である少数民族に対して弾圧を続けている.チベット族ウイグル族内モンゴル族等に対してだ.中国には数十の少数民族がいるようだが,その中でも上記の3つの少数民族はそれぞれ自分たちの自治区チベット自治区新疆ウイグル自治区内モンゴル自治区 − を持ち,独立運動も続けている.中国政府はその独立運動を押さえつけるために,それぞれの自治区で激しい弾圧を続けているのだ.

これらの自治区が中国の領土になった経緯は複雑だが,Wikipedia等の記述を参考に大胆に簡略化するとその時期は,新疆ウイグル自治区は18から19世紀の清朝時代,内モンゴル自治区は1911年の辛亥革命後,チベット自治区は第二次大戦後の1950年前後である.

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中国の覇権主義共産党独裁の押し付けはとどまるところを知らない.1997年に一国二制度の条件付きで英国から返還された香港に対しては,その条件を完全に無視して強権によって中国化を進め,ここは中国だとの乱暴な主張を繰り返す.数十年前までは国際的に独立国と認められていて,今でも実質的に独立している台湾に対しても弾圧や軍事的圧力を加えている.

今日の話題は,そのような状況の中,新疆ウイグル自治区で中国が大規模に不妊手術を強制しているという話である.
https://www.asahi.com/articles/ASP2474KHP24UHBI00S.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/93175c8abc60b3bdf62341a3a1130b2c9ab51a57

結論から言おう.ひどすぎる話だ.

日本でも,ハンセン病(らい病)は遺伝するとの社会的な誤解から,そして人権意識の完全な欠如から,ハンセン病患者に強制的に不妊手術をすることが行われた.遺伝性の病気だとの誤解があったにしても,それは確かに社会的に国家的な意思の下で行われた非人道的行為である.決して許されない社会的・政治的な行為であった.

他の感染症においても,流行時には,無知と恐怖心と利己心と冷淡さから,感染者を差別し,排除し,理不尽な差別をするという行為が世界中で繰り返された.そうした社会的な理不尽と残酷が世界に遍在しているにしても,中国という国家が,仮にも自国民である何十万ものウイグル族の人々に,ただウイグルであるという理由だけで,強制的に不妊手術をすることは,絶対に許されない.これは中国国家による犯罪だと思うのだ.

米国政府は中国のこの行為をジェノサイド=集団虐殺と非難している.おそらくは,強制不妊手術だけでなく,さまざまな状況証拠から,実際に集団虐殺が行われていると強く推認されるためだろう.
https://news.yahoo.co.jp/articles/765311b2defd793cfa810d47514b45fbc668b2d1

私は,この強制不妊手術に関しては,ジェノサイドというより民族浄化=民族絶滅計画といったほうが適切ではないかと思う(もちろんジェノサイドは民族浄化の一部分).特定の民族の大人たちに強制的に不妊手術をし,子供を埋めないようにし,将来的にその民族の根絶やしをねらう.第2次世界大戦時に,ナチスドイツはユダヤ人を根絶やしにするためにシステマティックにガス室で大量虐殺を行った.1990年代,多民族国家であった旧ユーゴスラビアでは内戦が起き,他民族を根絶やしにすることを目的とする数々の残虐行為と虐殺とレイプが行われた.今回の中国の行為は,行為こそ違ってもそれらと目的はまったく同じ.ウイグル族を抹殺=民族浄化をする行為だ.

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一つの民族を抹殺しようとする行為は,一つの動物種や植物種を絶滅に追いやる行為より,社会的に,世界的に,比べものにならないぐらい大きな非難に値する行為だろう.絶滅の危機に瀕する動物や植物を守ることも重要だが,一つの民族を抹殺する行為は比較にならないほど残酷で,私達は人間性と誇りにかけて非難すべき行為であるだろう.ウイグルの人々の自由への闘いに,私は全面的に支持をし,中国政府にできるかぎりの抗議をしたい(これを書くことぐらいしかできないが).

子供の頃 ー 昭和30年代から40年代初めだったが ー 横浜の繁華街にでれば,第二次大戦時の傷病兵が街角でアコーディオンを弾いて生活支援を求めていた.高度成長期,大学生ぐらいになったとき,横浜の港町のはずれでは,仕事を失った荷役夫達が公園のベンチで日向ぼっこをしていた.隣のベンチに座ってタバコを吸えば一本くれないかと声をかけられることもしばしばだった.彼らは皆穏やかだったが,人々は −私の親も含めて− そうした弱者たちに冷たいように見えた. 子供の眼から見た限りでは.

今の大学に勤務してから,数多くの留学生たちと接してきた.その中で忘れられない何人かの留学生達がいる.一人はウイグル族の学生だった.留学前に地元で美術の教師をしていたとかで,私の似顔絵を描いてくれた.やがて中国政府がウイグル族への弾圧を強めるにつれて,東京にウイグル族デモに出かけ,漢族留学生たちへの憎悪を深め,漢族学生達とトラブルを起こし,研究も疎かになって満期退学してしまった.ビザが切れて中国本土に送り返されることをひどく恐れていた.もうひとりは,内モンゴル族の女子学生だ.モンゴル語ネイティブのための日本語e-Learningの研究で学位をとって内モンゴルに帰ったのだが,その後内モンゴルではモンゴル語での教育が禁止されてしまった.

https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2020/07/post-56.php
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63816840U0A910C2910M00/

中国での少数民族の弾圧の記事を読むと,彼らのあの笑顔が思い出されるのだ.