霞喰人の白日夢

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日本の新型コロナワクチン開発の遅れについて

5月12日,今日の朝日新聞の「耕論」は「新型コロナワクチンは始まったけれど」だった.いつものように3人の論者がそれぞれの視点から述べているが,今日は日本ワクチン学会理事・中山哲夫の「開発に背を向けたツケ」を読んで思ったことを書こうと思う.

 

朝日新聞・耕論「新型コロナワクチンは始まったけれど」

https://www.asahi.com/articles/DA3S14900195.html

 

ところで,朝日新聞のWeb版は無料会員になれば月に5本の有料記事が読めることになっていて,耕論はその枠内で読めたはずなのだが,どうもシステムが変わってしまったようだ.無料会員だと上記の記事を読めない.私は紙の新聞でこの記事を読んだ.

 

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さて,中山哲夫は,コロナワクチンの開発で日本が遅れをとったのは,政府が長年ワクチンを軽視してきたことの結果だという.そしてその理由として,日本では「集団予防接種後の死亡や障害が社会問題化して,裁判で損害賠償を命じられた政府がワクチンに背を向けたから」と述べる.これと同じ主張は最近テレビやネットでも時々聞くのでめずらしくはない.中山は「マスコミの報道ぶりも問題でしたが」とはいうものの,そのことについて詳しく書くことはせず,それによってワクチンを軽視するようになった政府・厚生労働省の無責任を問うている.政府の責任ということについて私も異論はない.

 

しかし「集団予防接種後の死亡や障害が社会問題化」したこと,「裁判で損害賠償を命じられた」こと,そして「マスコミの報道ぶり」を暗に批判しているのではないかと思えることが気になる.直接的にそうした批判は書いてないが,私は筆者がそう考えているのではないかとどうしても思ってしまう.それは,ネット上には(ネットだけではないかもしれないが),予防接種後の死亡や障害の社会問題化,つまり高額な損害賠償やマスコミの報道ぶりが,日本のワクチン開発衰退の原因であるかのように書いている記事があまりに多いからである.

 

例えば,

 https://www.city.fukuoka.med.or.jp/jouhousitsu/report224.pdf

 https://jp.glico.com/boshi/futaba/no80/con02_01.html

 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-12-22/QLD98CDWX2PU01

 https://www.asahi.com/articles/ASL6J7X9QL6JUBQU013.html

 

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考えてみよう.たとえ予防接種後の不幸がほとんど稀であるにしても,社会全体としてワクチン接種で恩恵を受ける人々のほうがはるかに多いとしても,たまたま自分や自分の家族にワクチン接種の副作用で生涯に渡る障害が残った場合のことを.あるいは死亡したときのことを.そのとき,我々はどのように考えるか.

 

一般論として,ワクチンであればそうした不幸は起こり得る.可能性はゼロとはいえない.しかしすべての人にとって不幸より恩恵を受ける「確率」の方がはるかに高いから,社会全体にとっては間違いなく恩恵のほうが大きいから,政府はワクチンの接種を推奨する.そのとき,運の悪い(としか言いようのない)ごく一部の人,例えば100万人に一人,に生涯に渡る障害が残ったとき,その人に運が悪かったねと言って済ましてよいのだろうか.国にもワクチン製造会社にも過失はない.だって100万人に一人ぐらい起こりうることは始めからわかっているのだから.つまり彼らの過失ではない.過失でないから責任もない.責任がないから何もしない.可愛そうだけど我慢してね.それが人生だ.そんなふうに終わらせてよいのだろうか.そういう問題である.

 

私は,損害賠償訴訟が起きたり社会問題化したのはマスコミの責任でも被害者の責任でもない,政府があるいは社会が被害者に対して不誠実だったからだと考える.社会では,公共の福祉のために一部の個人に不利益を受け入れてもらうしかないことがある.ワクチンによる重大な副作用はそれにあたる.その場合,国は,社会は,不利益を得た個人に対して十分すぎるほどの礼儀を尽くし,十分な補償を払わねばならない.「ワクチンと死亡に因果関係はない」とか「国には一切の責任はない」とか主張すべきではない.

 

この世には「不確実な因果関係」というものがあって,それも「非常に稀に起きる因果関係」というものがあり,それが起こり得ることは分かっていた.その可能性を分かった上で,多数の国民の不幸を防ぐために,国民全体の最大幸福を目指すためにワクチン接種を実施せざるを得なかった.一部の国民を犠牲にしたい訳ではなかった.だがごく稀に起きる不幸が運悪くあなたにたまたま起きてしまった.そのように正直に語り,説明し,裁判など起こさなくても良いぐらいに十分な誠意と補償を示せばよいのだ.日本の政治・行政にはそれがない.

 

そのことが - 日本の政治・行政に誠意と正直さのないことが − ワクチン開発に後ろ向きな現状を生み,新型コロナワクチン開発を遅らせた最大の原因であろう.